不肖、芳春!
 日々これよき日を念じ生きてゆこうと思う。  その軌跡を記事にしておこうと思う。

桂月と双名島

 大町桂月(おおまち けいげつ ・ 詩人、歌人、随筆家、評論家)は、明治2年(1869年)高知市に生れ、名は芳衛、雅号は桂浜月下漁郎、月の名所桂浜に因み「桂月」と称した。
 明治29年東大国文科を卒業、島根県の中学校教師を経て明治33年博文館に入社『文芸倶楽部』『太陽』『中學世界』などに随筆を書き、美文家として知られた。韻文・随筆・紀行・評論・史伝・人生訓など多彩で和漢混在の独特な美文の紀行文は広く読まれた。
 終生酒と旅を愛し、酒仙とも山水開眼の士とも称された。晩年朝鮮、満州(中国東北部)まで旅した。北海道を旅行し「層雲峡」の名付け親でもある。青森県の十和田湖と奥入瀬をこよなく愛し、晩年はそこに定住し大正14年(1925年)57歳で死去した。高知市桂浜の碑には「見よや見よみな月のみのかつら浜 海のおもよりいづる月かげ」の歌が刻まれている。
 驚くことにはその桂月が大正時代交通きわめて悪い片田舎のわが故郷を訪れていることで、そこは久禮浦(現中土佐町久礼)というが、茅屋ならぶ八幡宮前の砂浜から小湾に浮かぶ「双名島」の景観を賞で興おもむくまま舟に乗り島に渡ったとの文章が残されている。

「 大小の懸隔甚しき二見の浦の二岩を舊式の女夫岩とすれば大さほぼ相同じき久禮浦の二名島は新式の女夫岩とも云うべくや相去ること百間ばかりいづれも高さ十丈下のまはりは五六十間もあるべく下の半身は骨を露し上の半身は木立を帯びて老松も少なからず八幡祠頭より見て感嘆に堪えさるが猶就いて見ばやとて舟を浮べ先づ左の一島に上り頂に観音を拝す次に右の一島の半腹に辦天を拝し密生せる一つ葉を踏みて頂を窮め萬里の天風に嘯きし快さ何にか譬へむ帰路五位鷺の悲鳴して去るに気付きて見れば木の枝に巣ありて其中に卵もあり生れしばかりの雛もあり唯見たるのみにて去りぬ親鳥帰り来らば如何にか喜ばむ 人ならばうれしからまし二名島二つならびて萬代までも 大正九年夏 桂月 」

 その双名島は土佐十景のひとつだが、いまは人工防波堤として陸地につながり往時の面影はない。
 しかし当時の写真によれば桂月が嘆賞した気持ちがわかる。
    ・・・春遊ぶ夫婦もかくや双名島・・・

category 俳句  /  2008年 03月 20日 08:44  | Comments ( 0 ) | Trackback ( 0 )

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