不肖、芳春!
 日々これよき日を念じ生きてゆこうと思う。  その軌跡を記事にしておこうと思う。

旧友追憶

 あれからもう十年の歳月が経過した。その年の松の内過ぎ1月8日の朝1通の手紙が届いた。
 それは高校時代の級友山川君のご子息とご令嬢連名で「母は天寿を全ういたし・・去る十九年十一月・・」云々と記された挨拶状だった。
 彼女は以前から病弱の身だったがお互い老年の身ゆえ年賀状をおくり安否をお伺いしていた。ついに亡くなったという知らせである。

 山川ご夫妻との交流は随分以前に遡る。夫山川君は高校時代の級友で親しかったが、大学進学後お互い東西に別れ、いつしか疎遠になり、その後消息も途絶えた。
 ところが天の配剤か、高卒17年後に偶然出合ったのである。
 当時東海道新幹線の始発駅は新大阪で、神戸から上京となると一応新大阪駅で乗り換え新幹線に乗車するということで、新幹線の座席で一息いれていると車内放送が流れ、
「高知の高木さん、山川さんがビュッフェでお待ちしております。至急ビュッフェにお越しください」というアナウンスが流れた。
 それを耳にし咄嗟に「はてっ?」と首をかしげた。実は高校時代には私と山川君と高木君はトリオの仲間だったのだ。高知時代の山川と高木はわが記憶中ではリンクしている。
 新幹線でその2人と出会えるなんて「なんとも僥倖」との思いが脳裏をよぎり「思惑はずれてもいいや」という感慨ともども、ビュッフェに急いだ。
 そして列車のドアーを開きビュッフェ内をのぞくと一番奥の座席で悪戯っぽく笑う山川君が手を挙げて私を招いた。
「どうも君らしい男がホームにいたので、もしやの思い、そこで一計案じ昔どおりの君なら高木と言ったら絶対ひっかかると思って仕掛けたんだ。やっぱりなぁー」といい、フッフッフと含み笑いした。その容姿が昔どおり懐かしい笑顔だった。
 こうして東京までの車中、奇遇を喜び互いに語りあったが、そのとき、
「東京外大を卒業しさるメーカーで外国人相手の渉外係をしている。外人に麻雀を教えたりして親しくなり大いに役立ってるよ」と笑いながら語っていた。
 その日東京で仕事を終えた後、彼の社宅に招かれ歓談の一夜を過ごした。
 その夜会った彼の奥さんというのが、同じ高校の2年後輩で図書部の顔見知りだったのも奇遇だった。
 それから数十年間は彼が外国駐在ゆえ没交渉のまま打ち過ぎた。
 そして某日、突然彼の奥さんから電話がかかった。そのとき山川君の訃報を知ったのである。
 彼女が故人の遺品を整理していると手帳のメモ書きに私の電話番号が控えてあったこと、また病床で「彼ともう一度会いたかったなぁ」と言ったと聞いたのである。
 高校卒業後お互い働く場、住む所も異にし離れ離れになったのだが、仕事にまぎれ文通途絶えたまま無為に過ごしたこと、また、かって東京で接待を受けながらそのままになったことが悔やまれ、今更ながらわが身の不明を愧じた。
 そんな事情だったので山川君亡き後も、ときどきかかる奥さんからの電話を通じ旧交を温めていたが、彼女も亡くなったと聞き、一抹の寂しさを感じた。いまは来世で再会あればと思う。

 ・・・土佐弁の電話も途絶え春来る・・・

 

category 俳句  /  2017年 05月 01日 21:49  | Comments ( 0 ) | Trackback ( 0 )

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