不肖、芳春!
 日々これよき日を念じ生きてゆこうと思う。  その軌跡を記事にしておこうと思う。

年寄の述懐

 83歳で亡くなった永六輔さんは数々の言葉を残しているが、そのなかでも私がもっとも同感、頷いた言葉に「人の死は一度だけではありません。最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき、でも、死者を覚えている人がいる限り、その人の心の中で生き続けている。最後の死は死者を覚えている人が誰もいなくなったとき、そう僕は思っています。・・・でも、人は歳月の中で亡くなった人のことを忘れがちです。だからときどき誰かと故人の思い出話をしたり、街角で出会ったりしましょう・・・」の一節。
 齢重ね老年の境に入ってからだがなんとなく「死」という言葉が心に浮ぶことが間々ある。
「死とは無になること」と自覚したつもりだったがそこに人生の空しさを感じ心の迷い生じ宗教や哲学にと種々思い巡らしたこともある。
 そして結論は永六輔さんの上記の言葉。なにがしかの結論というか慰めを見い出した思いし、そんな境地は私だけだろうかと思ったり・・。
 無粋な自分だが齢80余歳まで生き存え遅きに失っした感あるが、いままでの悲喜交々の人生はそれとして、残る余生は曇り去り白雲点点残る青空見上げるに似た境地で。

これも宜なるかな!

   ・・・嵐去る蝉の声聞く朝の庭・・・

category 俳句  /  2017年 08月 10日 09:12  | Comments ( 0 ) | Trackback ( 0 )

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