不肖、芳春!
 日々これよき日を念じ生きてゆこうと思う。  その軌跡を記事にしておこうと思う。

イチローも楊逸も・・

 シアトルからの記事(丹羽政善記者)・・イチローの日米通算3000本安打について、報道は「あと○本」という形で伝えられる。例えば「これで通算2991安打になりました」というよりは、「あと9本です」と書いた方が分かりやすい。それを読む側、聞く側も、今となっては、そんな表現に慣れてしまっているはず。 しかしイチローは「僕は1本増えてると思っているけど、見てる人は減っていると思っている」 イチローは言葉を足す、「多分と言うか…、絶対的にそこが違う」
 その違いがどこで生まれるかを考えれば、やはり、記録を追いかける側と、それを見つめる側の差だと思う。そういう視線にイチローは常に敏感だ。記録が迫ってきたからこそ、注目するファンもいるはず。普段からイチローを見ているファンであっても、3000本に達すればそれを区切りと考える。 もちろん、報道する側もそうなのだが、3000本に達したとしても、一人残されたイチローは、3001本目を打たなくていけない。日米3000本安打は通過点であっても、決して彼にとってのゴールではない。記録達成の過程を見つめる多くの視線が消えても、イチローは次なる目標に向けてヒットを重ねなければならず、そこに「10本から9本だと、『1本増えた』となります」という感覚が生まれるのではないか。
 思えば、恐ろしく孤独な世界でもある。かつて、イチローはこんな話をした。日米通算2000本安打を達成する前、メディアが騒ぎ過ぎですかと聞けば、イチローは「飲めないのに無理矢理、飲み会につき合わせている感じ」というようなことを言った。下戸にとっては、ひざを打ちたくなるような話だが、その飲み会からただ一人、帰るわけにはいかないのが、記録達成を目前にしたイチローでもある。会の主役が、「お先に」というわけにはいかないのである。 そのときにも触れたイチローの孤独感。それは、記録を塗り替える選手の宿命のようなものなのかもしれない。・・

 朝のラジオ、日本語を母語としない作家で初めて芥川賞を受賞した中国人楊逸女史の対談を聞いていると、イチローの言葉が脳裏に浮かんだ。そして、
「彼女も次の著作にむけ孤独な世界で筆をとり続けるだろうなぁ」と思った。
 一芸に秀でる者の宿命は傍観者には到底はかり知れない。

category 事蹟  /  2008年 07月 21日 13:40  | Comments ( 0 ) | Trackback ( 0 )

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