不肖、芳春!
 日々これよき日を念じ生きてゆこうと思う。  その軌跡を記事にしておこうと思う。

死ぬのもたいへん

 なにかにつけて次女からの贈物は大抵図書カードだった。ところが最近彼女自身直々適当な本を選び贈ってくれるようになった。
 この度の父の日は、紀伊国屋書店で購入したと思しく、ESPECIALLY FOR YOU PRESENTと記すゴールドラベル貼った美麗な包装を手に、
「お父さん、この本なかなかいい本よ、きっと人気図書に・・」と笑顔の説明。
 わが子が直々選んだ本とあれば読んでみるも一興と包装解き表紙みると、曽野綾子著『死ぬのもたいへんだ』(青志社刊)
 齢80余歳ともなり足腰頓に弱った憐れな父の姿みての感慨か。
 それにしても『死ぬのもたいへんだ』という本を贈ってくれるユニークさ(?)が面白い。
「これも父親ゆずりか」と思わず苦笑。

 曽野綾子でふと思い出したが、去年夏家内の付添いで病院にいったとき待合室で読んだのが曽野綾子著『戒老録』(祥伝社刊・増補新版)だった。
 その奥付で著者50歳代(初版は40歳代)のとき「老いの戒めを縷々論ずるなんて・・」と驚いたが同書中の一編が新書『死ぬのもたいへんだ』にも登載されてるのに気づき、更なる増補版と解して改めて読む。
 『死ぬのもたいへんだ』は短編集、さらに要点部分を抜粋した内容でわずか十数行の文章多く、老年者には読んで疲れることない容易な新書版。
 短時間で読み終えたが、著者老年になっての述懐つづき、
「自分も老人になってみて、私はこの頃、老人の心の自由さを感じます。何か勘違いしてないかって? もちろん肉体的には不自由になっているのですけど、生き方自体は自由になるのです」の文節や、
「亡くなったという知らせはなくとも、年賀状が来なくなるということは、あの人ももう年だから自然だ、と誰もが思ってくれるのが老年のよさである。ましてや年金暮らしかどうかくらいは誰でも容易に想像がつくことだ。最盛期には羽振りのよかった人でも、高齢者になれば、皆お金とは無縁の静かな暮らしに入るのだ。それは別に恥でもなく、落ちぶれた証拠でもなく、憐まれる理由でもない。むしろ静かに変わって行くのが人間というものの堂々たる姿勢だと思う」
 とあるのに頷かされた。まずは好書。

 ・・・久方の雨雲暗し梅雨の朝・・・

category 俳句  /  2017年 06月 22日 16:03  | Comments ( 0 ) | Trackback ( 0 )

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