旬采そば「多左エ門」
外観はいかにも田舎の蕎麦屋風の家構えだったが一歩中に入ると高天井で床は広くちょっとした音楽施設のよう。片隅には演奏台がありジャズを奏でる設備が整っている。
どうみても単なる蕎麦屋とは思えない。どことなくクラシック調の室内、市街でよくみかけるモダーンな茶房を彷彿させる。
そんな雰囲気のなかジャズ流れる室内で食した石臼手碾十割そばは細切り極める繊細なそばでつけ汁の味もよく至極満足した。
店の案内によれば、毎月第4土曜日午後6時からジャズライブが開催されるとある。
夏など避暑よけにここで夕涼みがてらそばを啜りジャズを聴いたら「さぞや・・」と思うが、何分神戸市内からかなり遠く「もうすこし近ければなぁ」と思う。(2015年5月16日記)
・・・涼風のなかジャズ耳に蕎麦啜る・・・
category 俳句 | 2017年 11月 27日 10:25 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
夢の続き
神戸市内どこかの大通りをひとり歩いていると、先方から大勢の人々がこちらに向かってやってくる。
その中からいかにも大阪のおばちゃん風の女性が近づいてきてパンフレットらしきものを私に無理やり手渡した。
先方がなにやら喋ってるが、感じからしてどうも自分好みでない宗教入信の勧誘だ。パンフレットを突き返せばその集団に危害加えられる感じだったので止むを得ずそれを受け取りその場から逃れようとするところで目が覚めた。
確かめると午前3時過ぎで常なら小用足すころ、そのせいかと思いその日はそのまま何の気もなく過ごした。
ところが不思議なことに昨夜再び夢をみたが、それが前夜に続くシーンだった。
こんどはその宗教に反対する中年男性が近づいてきてこれまたパンフレットを私に差し出す。
夢の中ゆえ読まずともわかり、前夜の集団が信教の自由に制約加える団体で怪しからんと男性が小声でわが耳にささやく。
ここで前夜現れたあのおばちゃんが再び出現し怖い顔で怒鳴り出した。背後にはその集団がいっぱい。
その形相におののいてあわてて男性くれたパンフレットをわがポケットにしまい込む。
しっこく付きまとうおばちゃんは離れない。それが夢だとわかっているだけに「早く目覚めねば」と焦りに焦るところで目が覚めた。
起床早々、夢の続きを連夜みたことを家内に告げると、
「あんた、明け方になにやらぶつぶつ声を出していたよ。なにかわからんけど」といって、きっとうなされてたのだという。
いままで、同じ人物が二夜連続出現する夢なんて体験したことないだけに、狐に騙されたようなケッタイな気分になった。
縁起のいい夢ならいいがこんな夢なんて真っ平御免の心境だ。
・・・足冷えて眠れぬままの長夜かな・・・
category 俳句 | 2017年 11月 24日 11:38 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
休暇村紀州加太
その後少し行って一般道に下るべきところ、搭載のナビゲーションに狂いあって下りるICを行き過ぎてしまい、そんなことで予定より遅く午後4時半過ぎ宿舎に到着した。
さて、休暇村紀州加太は最近リニューアルしたらしく新設の洋間に落ち着いた。広い部屋でトイレ、洗面所、風呂ともに別々の快適な造り、オーシャンビューの部屋。
窓外望むと折から落日の景、近く友ケ島はさみ右は大阪湾、左は太平洋と紀淡海峡真正面、遠く真向いに淡路島がくっきり浮かび、その日は好天で空気澄み渡り四国徳島まで霞んで眺められた。
そうして夕食に向ったが、冬のAOI―葵―という会席料理。先付は焼茄子・生湯葉しょうが醤油がけ、造りは鯛、生鮪、間八、太刀魚、平貝、ウニ、さよりの昆布〆の7点盛り、鍋物は熊野牛のしゃぶしゃぶ、揚物としてメバル天ぷらの栗あんかけ、蒸物は松茸の茶碗蒸し、蓋物は鯛のあらだきと豪華なもので、後は鯛とむかごの釜飯でおあがりという次第。満腹満足の夜を過ごす。、
ことし1年五体優れず好き日々とはいえなかったがなんとか生き延び再び誕生日迎えたことを良とし、旅の往復ひとりで運転してくれた娘に深謝!
・・・霜月の誕生祝い紅に白・・・
category 俳句 | 2017年 11月 21日 15:23 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
讃岐の根来寺
車を仁王門脇に停め前方見ると奇怪な牛鬼の像が立っていた。土地の伝説によれば、昔この近辺に出没し村人をたいそう困らせた牛鬼という怪物とか、山田某という弓の名人がこの寺の本尊に祈願、見事射止めたという怪物像で、牛鬼の角がこの寺にいまも秘蔵されているという。
根香寺は緑樹に囲まれた清楚な寺だが、山門をくぐるとまず石段があってひとまずそこに下りそこから数十米は平坦な参道、そこからふたたび石段を上るといういわば凹形の珍しい参道である。
本堂にはコの字形の回廊があって、中は薄暗く右回りにゆくと灯明に浮かび小さな観音像がずらり並んでいるがその数三万三千三百三十三体。
寺の案内によれば、「本尊を刻んだ木の根がたいそういい香りなので寺号を根香寺に・・」といわれている。
この寺の境内の五色もみじは夙に有名で一木に五色の葉が染め分けられ色づくらしい。
訪ねたときは既に晩く見ず仕舞。いつか機会みつけ紅葉の頃に再びと思ったが望み果たせず。
・・・紅葉散り積る小道を寺参り・・・
category 俳句 | 2017年 11月 16日 14:14 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
犬に棒
老輩が冷え症なのをとくと承知で冬近い今、「頃はよし」との判断。
さては先日のブログ読んだせいかとも思うが上機嫌で中身改める。
足の冷え防ぐため寝床ではく厚め丈夫なソックスには十分満足、その後「さてつ」と取り出すはドイツ製の湯タンポ・水まくらで、これはドイツの老舗メーカーフアシー社創業来発売中のグミ・ハウスの愛称親しまれる湯袋。
ファスナー開けると中に乳白色の袋が入っていて摂氏60度前後の湯水をいれ冷える首筋にあてれば安眠誘う算段。
ソックスで足先を、湯タンポで首筋温めれば、血行増進、体全体ホカホカするは間違いなく、今夜から早速使おうと決めた。
ところでその後贈物の横からぽろりと出てきたのは小っちゃな犬の木彫。よくよく見ると首筋にまいた赤色のゴム糸に挟まれた小さな紙折。
開いてみると「2018いぬみくじ」の題目、「さては、来年の吉兇占いか」と読むと「小吉」で続きは「犬も歩けば棒に当たる」の諺、小吉と棒とは「これいかに?」と首かしげたが、諺の説明によれば「何かをしようとすれば何かと災難に遭うこと多いという例えだが、反対に 出歩けば思わぬ幸運に出会うとの意味もある」とあった。
歩行ままならぬきょうこの頃なれば後者の例は諦め、来年は災難避けるべくなるだけ外出を控えようと思う。
・・・足の冷え安眠ならぬ夜更かな・・・
category 俳句 | 2017年 11月 13日 11:23 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
庭にメジロ
その後いつしか眠りについて目覚めたのは7時過ぎ、こんな朝は食事もゆっくり、新聞を読みながらコーヒーを啜っていると、とうに食事すませ窓際に立っていた家内が、
「お父さん!小鳥が来てムラサキシキブの実をつついてるよ」と小声でいう。
狭い庭だが小さなムラサキシキブの木が一本、今秋も枝に紫の実が鈴なり、それを目当てに何処からか野鳥が来たらしい。
「可愛らしい小鳥やわ、何鳥やろ」と問いかけるのでよく見ると緑の羽毛や目元が涼しげ。
そこで子どもの頃の記憶が蘇える。むかしハゼの実をつつく可愛いい小鳥を捉えようと夢中だったこと。
「うん、あれはな、メジロや」と断言。
どうやら5、6羽相集いムラサキシキブの木の背後の棒樫の葉影に潜み、その1、2羽が交代でムラサキシキブの小枝に寄って実を啄んでいるようだ。庭に人の気配なしとみるやだんだん大胆になり次々枝に寄りとまって実を啄んでいる。
その一部始終を眺め彼女、
「あーあー、きれいに成ってたのに実が全部なくなってしまうわ」と嘆きながらもメジロの所作を眺めいささか満足気。そこで、
「きれいな鳥が見られてよかったやないか」と半ばの慰め。
・・・めじろ来て木の実啄む庭の朝・・・
category 俳句 | 2017年 11月 09日 11:30 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
免許証返上
「事故でも起こせば大変だ」と思い始めたのを機にすつぱり運転を断念することにした。
その潔さにいつもは嫌味たっぷりの家内だが、
「あんた、他人に勧められしぶしぶやめる人が多いのに、えらく潔いねぇ」と冷やかされる始末。
そんな次第で免許証は只の紙同然だったが有効期間きれる今秋末ひかえ免許証を返納することにし、兵庫県警別館のセンターに出頭。
道中の車運転は娘に、日曜午後センター窓口で手続きすまし、運転経歴証明証とやら自動車運転免許に代わる証を頂戴した。
その手続きは意外にスムースで即日交付。1000円也の兵庫県印紙を貼り申請し、もらった証を運転免許証しまってた財布の同じ個所に納め一件落着。
なんだか心中「人生後半一区切りついた感」し、清々した気分で帰宅。
・・・久久や青さ身にしむ秋の空・・・
category 俳句 | 2017年 11月 06日 10:43 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
愛犬余談
老年のいま眺めるとしみじみ「あの頃はよかったなぁ」という感慨が湧いてくる。
阪神淡路大地震発生前老死したのだからそれから生存期間16年遡れば、現在からいえば遠い遠い昔のことである。
その頃神戸・新開地のお好み焼屋で一匹の仔犬を貰い受け育てたが、雌の中型犬で毛並みや毛色はシェパードもどきだったがどう見ても多種血統交じる四国犬系の混血で、丸く大きな瞳が可愛い雑種犬だった。
そんな犬だったが縁は不思議というか飼うほどに情うつり人・犬というより家族同様の交わり、16年間も長生きし、晩年はわが家にとって欠くべからざる存在だった。
しかし寄る年波には克てず犬の生存期間でいえば十分過ぎる天寿だったが、いま思うには、老いた犬の憐れな姿は人間同様、「われもいつかそんな境涯に・・」と思われるほどのみじめさで、声もなく息をひきとったのである。
愛情移れば人も犬も同然、その死後しばらくは失意感ですいぶん落ち込んだのを思い出す。
そんな次第で古い昔のことながら思い出はいまも消えることはなく、飾棚の写真みると感慨深い。
先日読んだ安岡章太郎の随筆『死との対面』(光文社刊)中に「僕の散歩は、犬を飼って犬のために散歩したことから始まった。・・」という一節があった。そこには、
「僕の友人に一人、老犬を愛し、その老犬と暮らすことを生き甲斐にしている男がいる。その男が言うには、老犬を養うことは孤独を学ぶことになるそうだ。なぜかと言うに・・」と続き、
「犬の一生は人間の寿命の三分の一か四分の一しかなく、犬を飼えば犬の死に立ち会うことになり、人間の死に様がどこか小賢しさを残したまま死ぬのに対して、犬は本当に生きものの哀れというものをもったまま死ぬ、人間にない美が犬にはある」と記し、
「ある日その男から手紙が来て「この頃、わが家の老犬は白内障が進んで両眼とも殆ど視力を失ってしまいました。それでも散歩に出たがりますし、どっちみち一日中、家の中に置いておくわけにはいきません。しかし、この犬のために盲導犬をつけるわけにもいきません。そこで小生は、思い切って自分自身、“盲導人”になる決心をいたし、朝、夕、犬の先導となって歩いている次第です。・・・・」と述べている。
その随筆を読んで、「全くわが体験のひき写しではないか」と驚いた。
愛犬の晩年もそれそっくりで、視力失い声も出なくなっていたからである。そして死んでゆく姿を見守り、犬を飼った者が誰もがいう「犬の死には二度と立ちあいたくない」という言葉が身にしみた。
老い衰えた犬の哀れな姿、その死に様を見守る辛さは人間に相対すると同様で、身切られる思いでそんな事情ゆえ、以後再び犬を飼うことはない。
そして老いたいま思う。「皆が元気だったあの頃がいかに幸せだったか」ということ。
・・・天空に瞬く星や犬を抱き・・・
category 俳句 | 2017年 11月 01日 14:15 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
「萬や」の飯
或る残暑見舞
神戸電鉄 御中