不肖、芳春!
 日々これよき日を念じ生きてゆこうと思う。  その軌跡を記事にしておこうと思う。

或る随筆から

 最近頓に体力・気力弱まったせいか何事しても長続きしない。これ、80歳後半ともなれば誰しも経験することだと思うが、加齢のせいとすれば止めようがないと自分自身に言い聞かせ諦めている。
 なんといっても壮年の頃盛んだった読書欲が薄れてきたことが一番のショックだ。
 そういうことだが体調幾分よき朝一念発起し書棚覘きそこらを目で追い中から一冊取り出してはしばしページめくったりする。
 今朝もそういう次第で取り出したのは『死との対面・瞬間を生きる』という安岡章太郎著、厚表紙の新書版、光文社刊の一冊。

 どうせ全頁読みとおす根気続かずと最初から諦め、ところどころ拾い読みすると、同書96頁に「生きている限り満足感がある」という一節があった。
 そして冒頭に「孤独とは、つまり歳とって周囲に同じ年頃の者が少なくなり、話し相手もいなくなるといったことだろう。しかしもっと端的に言うと、自分自身が内面から痩せて希薄になってくるのを自覚させられることではないか―」と記されているのに思わず頷いた。
 そこで読み進めたが「どんな人だって、そういう自己認識はあるはずで、ああ、自分はこういうものか、と思うことがあるではないだろうか。自分は何のために生きているのか、と考える場合もあるだろうし、自分はどういう人間だろう、と考えるときもあるだろう。・・」
 という件に至り、人間誰しも程度の差こそあれ歳とれば自分自身生きてきた過去を振り返りいまの境遇、余生短い今後を思うのは当然かと実感した。

 ・・・冬近き台風なれば風も吼え・・・

category 俳句  |  2017年 10月 27日 10:56  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

掛け時計

 いつも12時前後に寝る癖がついて久しい、テレビ見たりパソコンであれこれしたりして思わず数時間、いつの間にかそんな時間になっている。
「あんた12時よ。もういい加減にして早く風呂に入ってよ!」
 隣室からの高い声にハッとわれに返りあわてて浴室に向かう。
 ところがそんな夜に限ってなかなか寝つかれないもので頭脳冴え血駆け巡る。しかたないのであれこれ思案のひととき。
 まずは50音順に日本全国各地の地名をひとつひとつ思い出しては脳中に並べる、「秋田・茨城・雲仙・・・香川・城崎・・・佐賀・静岡・・・」といった調子である。
 ときどき詰まればそこでひと思案、最後(ワ)「・・和歌山」に達するときはいい加減しんどくなってヤレヤレと寝つくことが多い。
 ところが数日前なんとなく急に眠気が襲い珍しくも10時前に就寝した。自分自身かなり眠ったつもりで目覚めると、掛け時計の時報が鳴った。半ば夢うつつ1つ2つと聞きながら、「ああ、もう5時なんだな」とひとり合点、眼閉じたまま音を数えた。
 そして5つ打った瞬間、「もしかしてもう6時かも」と次の音を期待、ところが6つ打った後も鳴る音止まず更に続けて1つ2つと延々鳴り続ける。
「なんやっ」と眼あけ確認したら、いつもならいまから床につくという夜半12時だった。
 なんだか損した気分になりその夜は翌朝までが長かったこと言うに及ばず。
 間抜けな話は更に続いて、昨夜はいつもどおり12時過ぎ床についたが夜中一度も起きることなく目覚めたのが午前7時過ぎだった。
 滅多にない熟睡の7時間、時計の時報も知らぬほどの快眠でなんだかトクした気分、上機嫌でいたら、それに水さすように家内が一言。
「お父さん、そんなに眠りこけてたら火事になったら、そのまんま、あの世ゆきよ」と嫌味。
 新聞で「火災、高齢者行方不明」の見出しあるのはこのことかと納得した。

 ・・・眠れぬ夜あれこれ思案の寒さかな・・・

category 俳句  |  2017年 10月 24日 10:24  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

雲仙小浜温泉

 関門橋を渡り九州自動車道に入る。九州自動車道は福岡、熊本、鹿児島各県を南北に貫いているが少しだけ佐賀県を通る。
 鳥栖JCTで丁度十字になっていてそこから東西に自動車道が延びている。東方向は大分自動車道、西方向は長崎自動車道である。
 今回は佐賀県経由長崎県に向かったが鳥栖JCTからほぼ20キロの地点に金立SAがあった。   昼過ぎだったので食事をとることにした。金立SAはハイウエイオアシスでかなり広く大きい。折からの休日で家族連れのドライバーで広場は大賑わいだった。
 関西住いのせいなのか九州の人々はどことなく穏かでゆったりしているように感じられる。のんびり然の風情には心安まる感じする。
 食事待ちの合間まわりの客、応対する従業員を観察すると言葉使い、態度が柔らかく温和である。そんな雰囲気なので、旅気分が爽やかになる。
 さてそこを発ってさらに長崎自動車道を西南に下る。佐賀県から長崎県に入り大村湾にさしかかると右に海が遠く開けてまもなく諫早ICに。
 そこで国道57号線に下り一般道を雲仙市へと向う。そして諫早ICからほぼ30キロ1時間、目的地の雲仙市小浜町に到着した。
 宿は島原半島の西側小浜温泉で西は橘湾に面し対岸は長崎半島、湾内の海面は穏かで湖面のよう、海上左に養殖場の筏が浮かんでいた。
 夜ともなれば長崎半島の灯が暗い沖合い遠くほのかに点滅しことのほか美景。
 海岸沿いの宿4階のベランダの露天湯に浸かり橘湾を眺めながら夜の一刻を過ごす。

 そして翌朝、外に出て気づいたがホテル裏側、海に面した突堤の向こう側に露天湯があった。突堤の一部に扉がありそこから海面に下りてゆくようだが、看板があって左側「海上露天湯」右側「波の湯“茜”」と大きな文字が読めた。入浴料は400円で楽しめるそうだ。
 鄙びた温泉町だったが海に面し明るいところでゆっくり保養でき疲れがほぐれた。(2009年10月6日記)

 ・・・湯気のなか頬もと微か秋の風・・・

category 俳句  |  2017年 10月 19日 10:27  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

明け方の夢

 明け方にヘンな夢を見た。
 わが姿わが動きが傍観的に見える構図である。短ズボンに白い半袖シャツ姿の私が立っている。小学2、3年生のころの自分だが隊列中で直立不動の姿勢。そこは古ぼけた小学校の講堂でみんなと一緒だが辺りの映像は見えない。
そんな場面、丸い黒縁メガネ、口髭をはやした怖い顔の教頭先生が現われる。目より高く恭しく捧げ持つ黒塗りの箱を壇上の校長先生に捧げる。その箱を開き巻物を読み始める校長先生。
 こんなときは頭を低く下げけっして鼻を啜ってはならない。そうしないと後で先生に叱られるからである。じっと目を閉じ校長先生の朗読が終わるのを待つ。
 そこで重々しい声が聞こえてきた。
「チンオモウニ、ワガコウソコウソウ、クニヲハジムルコト、コウエンニ、トクヲタツルコト、シンコウナリ」


 そこまで聞いて、ハタッと目が覚めた。
 思えばこれ!戦前よくあったシーンである。
 この語句! 子どものとき覚えさせられた教育勅語の一節である。
 戦後70余年経ったいま、脳裏からすっかり消え去っているはずなのに、こんな難解な語句がすらすら蘇ってきたのである。
 昨日のことすらしっかり思いだせないこと多いのに、途方もないむかしの記憶がこんなにはっきり残っているなんて・・。
 無意識下、脳細胞のどこかにしまってあるのだろうか。
 まったく意識にない教育勅語の一節がすらすら出てきたのにはすっかり驚いた。
 わが身を通じ人体構造の複雑さを実感、起床後しばし呆然の態。
 ・・・右強く改憲の秋総選挙・・・

category 俳句  |  2017年 10月 16日 14:59  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

衝突不可避か

 新聞開けば近づく衆院総選挙のニュースばかり。それに地元では神戸市長選というおマケつきで世間は忙しげ。
 今朝方選挙投票の通知書を頂戴したがこちとらは投票所の小学校までとても歩いてゆけぬ身、夫婦ともども「どうしたものか」と思案投首、車を利用するにはあまりに短距離なのでなんとも情けない気分、「残念ながらこの度も貴方任せにするか」と総括。
 続いて目につく紙面といえば北朝鮮問題。10月10日がお北さんの党のなんとか記念日とか。
「打ち上げか、はたまた核爆発実験か、きっとなにかするに違いない」とアメリカ、日本の政、軍関係者は固唾のんで待機、警戒怠りなく見構えたのだが結果と云えば、
「そんなこと知るか!」とばかり、肝心のお北さんはピョンヤンの広場で祝賀一色で踊り狂うときたもんだ。
 まるでこちらの緊張ぶりを嘲笑うかのようなはしゃぎぶり。無駄骨ほったアメリカ、日本の阿呆顔見物される結末となった。
 さて、この後がどう転ぶかは予断許さず、空中、海上・中での動き尋常ならぬアメリカ軍の今後に注目されるが、こちとらは選挙運動ということで、「そんなこと知ったことか」と多寡をくくっている。
 だがいましばらくは次なるお北さんの動きにご用心!

 ・・・晴れやらぬ空を眺めて末の秋・・・
 

category 俳句  |  2017年 10月 12日 15:26  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

秋深まれば

 暑い夏が過ぎいくつかの台風が列島通過すれば気温も徐々に下がって冬に向かう。
 住家が海抜300有余米の台地にあるので大気も幾分低いようで沿道の並木銀杏もそろそろ黄色づき落葉近しを思わせる。
 庭の周囲に植えた棒樫は剪定後ゆえ緑葉うすく幹の大きさが目立つのも冬近しを思わせているが、なかの2、3本がいかなる原因か茶褐色の葉をつけたまま立ち枯れの風情。
 先だって庭の手入れしてもらった際家内が伐採方頼んだのに、緑葉がちょろちょろ見えてたので庭師が「まだ緑が残っているのでこのまま一年見守りましょう」と言ったのでそのままにしたとか。
 しかしその後の落ちぶれた樹木眺める度に「もう寿命尽きたのか」と思われ、樹木も人様同様年ふればこうして老いの姿さらす運命かと、わが身のいまに照らし、人生は終り佳きが必定なることを痛感。

 ・・・秋深し庭に佇み天仰ぐ・・・

category 俳句  |  2017年 10月 10日 12:13  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

中秋の名月

 例年なら9月末なのだが年によって10月になることがあると放送で聞いてはいたが、今年は10月4日がその夜だという。
 そこで夕刻ベランダに待機しカメラを据え撮影を試みた。東の空ぽっかり浮かんだ明るい月、幸い雲少なく小さな薄雲の下白く光り輝く月を眺める。

 三脚を据え遠近を計りながらシャッターを押すのだが以前のように指動かず難渋。
 気に入ったシーンをと数度試みたが失敗。半ば諦め後は肉眼で直に中天見上げ名月を嘆賞。
 山上の住宅ゆえ天空見渡す限り遮るものはない。近辺は静寂につつまれ物音ひとつ聞こえない。そんな中、南方向遥か遠く関西空港飛び立つ旅客機か点々光り動くのが見えたり、爆音全く聞こえず静けさ更に増す。そんな雰囲気で月見していると安らかさ更に増す。
 今朝の新聞の片隅『春は曙・・・で始まる清少納言の随筆枕草子によれば「秋は夕暮」に趣がある。加えていうには「日入りはてて風の音、むしの音などいとあはれなり」◆日が没してから聞こえる風の音、虫の音。きのうは中秋の名月だったが、空気の澄んだこの季節は耳にするものまでが美しいと、平安の文化人は言いたかったのだろう・・・』の一節にあるとおり秋の風情更に!

 そんな夜の一刻だったが、聞くには月が完全に満ちるのは2日先だとか。しかしその日はどうやら雲厚く月見は無理らしい。
 まずは中秋の夜、今年も満月を眺めるチャンスにに恵まれ満足この上なし。

 ・・・鰯雲満月煌々静夜かな・・・

category 俳句  |  2017年 10月 05日 10:19  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

蒜山高原

 久々蒜山の休暇村訪れ東館の一室に泊る。
このホテルの朝夕のバイキングは定評あり。地産材料豊か並ぶ種類も多彩で楽しい。
 夕食では早々と芋焼酎の冷を一杯、お好みの料理に手をつけて大いに満足。それにデザートのアイスクリームが楽しみで得もいえぬ満足感に浸る。

 更にいいのは部屋からの眺望。蒜山三山と裾にひろがる緑は美しい。
 秋口ともなると山懐のところどころ点在する紅葉樹や草原に広がるスズキの穂色もみごとでよく調和し眺めているだけでも気分爽やか、清らかな大気を胸一杯吸いこむような安らぎを覚える。
 こうした高原風景は都会では味わえぬ大らかな気分を与えてくれるのでそれだけでここに泊る価値がある。

 そして早朝、寝床離れ窓際に佇ずんで窓外眺めると蒜山三山は昨日に変らぬ姿。
 初秋のこの時季は冠雪未だだが大気はかなり冷たく東南方向の山脈に眼移せば真っ白い雲海が浮かぶのが眺められ、その美景に思わず見とれた。
 なんとも快い朝が迎えられホッと一息。

 ・・・蒜山の山脈かなた雲海や・・・

category 俳句  |  2017年 10月 02日 10:29  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )