不肖、芳春!
 日々これよき日を念じ生きてゆこうと思う。  その軌跡を記事にしておこうと思う。

昭和二十年新年号

 月刊『文芸春秋』の昭和二十年新年号といえばその年八月十五日に日本は降伏しているから敗戦八カ月前発行された文芸誌である。当時の事情を知る一助にと新書一冊を買った。書名は『昭和二十年の「文芸春秋」』(文春新書647)。

その序文、「昭和二十年に出た月刊「文芸春秋」を手にとってみると、それだけで、日本の国力がすでにジリ貧どころかドカ貧まできて、なお戦争が継続されていたことがわかる。・・・・文芸春秋の昭和二十年における極限状況は、そのままこの国の極限状況でもあったのだが、それでもなお「文芸春秋」は六冊つくられ読者の手に渡った。敗戦前に三冊、そして敗戦後に三冊(注・四月から九月までは印刷所戦災のため発行できず)・・」とある。そして「空襲のおそれや空腹のつらさを念頭におきながら、紙背に浮かんでくるものに眼をこらしながら」読んでほしいとの願い。
ページめくると貧相な新年号表紙の写真の説明に「定価/五十銭 発売日/一月十六日・・」、通貨単位はほぼ千分の一。
 表紙から数ページめくると斉藤茂吉の短歌がある。題して「特別攻撃隊」
「大元帥統(す)べたまふ軍のいきほひの最中(もなか)かがやくこのいつくしさ」
「きはまれる大(おほ)き行為を端的の捨命(しゃみょう)のごとくわれもおもはむ」
「あめつちに至りわたれるたましひをわが戦(たたかひ)にまのあたりにす」
「微塵(みじん)なすかろき命といふ比喩(ひゆ)もはや空々(そらぞら)しこのたたかひに」
「大君(おほきみ)は神にいませばうつくしくささぐる命よみしたまへり」
 と短歌五首。斉藤茂吉は当時高名の歌人だったが、戦時中は多くの作家、詩人、歌人、画家と同様、戦争を賛美し皇国を讃美する作品を世に出し、敗戦後こうした行為に対し戦争協力者のレッテルをはられ批判された。
このような戦争讃歌、皇国讃歌の数々について、斉藤茂吉の子息・作家の北杜夫は当時の父は「戦果であれ悲報であれ、新聞社や放送局から電話があり、それについて歌を依頼されていた」と述懐している。北杜夫は「昭和十七年夏(注・勝利に沸く戦争初期に当たる)に次の歌があるのは、茂吉がまったく無自覚でなかった証では・・」とし、「死骸の如き歌累々とよこたはるいたしかたなく作れるものぞ」と詠じているというが、敗色濃い戦争末期に「大君(おほきみ)は神にいませばうつくしくささぐる命よみしたまへり」と詠んでいるのをみても、必ずしも「死骸の如き歌累々とよこたはるいたしかたなく作れるものぞ」の心境だけで歌を詠んだとは言い難い。
 ちなみに同じ新年号掲載の高浜虚子の俳句「小諸雑詠」七句、
「迷ひ居る雲や浅間は雪ならん」
「蕎麦干してゐて時雨るるを知らぬげに」
「あとを追ふ子を置いて行く落葉経(おちばみち)」
「からからと鳴り居る小夜の稲扱機(いねこきき)」
「遠山の雪唐松の黄葉(もみじ)かな」
「肥桶を荷(にな)ひ新藁(しんわら)一抱へ」
「畦豆(あぜまめ)を積み新藁の屋根を葺(ふ)き」
 そこには「花鳥風月」自然の移り変りのなか日常事を淡々と吟じいささかも戦争賛美はない。句を念頭に、無謀な戦争下、内心に空しさ感じる人々が浮かんでくる。同じ新年号掲載の短歌と俳句だがそこで感じる差異、「当時の大人は何れに共感覚えただろうか?」
当時軍国少年の一人だった私は、とても関心がある。

・・・梅雨の晴籠を小脇に妻の笑み・・・

category 俳句  |  2009年 07月 01日 09:21  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

三徳山三佛寺

 米子自動車道「湯原IC」で国道313号線に、さらに482号線、179号線へと北東にむけ倉吉市方面に、三朝温泉に入る手前で県道21号線に右折、目的地鹿野温泉にむけ走行。
 その県道は三徳川沿いだが10kmほど走ったところに道の両側はさんで大きな鳥居がかかっていた。どうやら近くの山間に古い社寺がありそう。
気になり徐行運転しばし、すると木の枝ごし朱塗の欄干橋が見え、その辺の道端に車が数台縦列駐車。その道筋をリュックサック背に大勢の人々が歩いている。なかには外人連れも。
「さては有名な社寺が・・」と判じ、川魚養殖場を過ぎたところ「←駐車場」の立札で左折、そこの広場に車を停め、みんなの後についてゆくと山側に数十段急な石段があった。

 石段上がるとそこは寺務所兼登山受付所。建物前の案内に「三徳山三佛寺」とある。
 そこからが参道というわけだが、立ち入りはかなり厳しいよう、まず拝観料を払い、入山受付済ませてから参道に入るのだが、参道といっても人一人通れる幅、起伏多い急な山道で、鎖たぐって伝い上る崖っぷちや一人しか通れぬ岩間くぐり、それに木の根っこ張った危なげな道など、およそ登山姿でなければの山道、距離はおよそ片道700mだが往復に一時間以上要するらしい。
 その難道を通り抜けると「奥院」だが、そこは別名「投入堂」といわれ、垂直に切り立った絶壁の窪みに、まるで岩間に投げ込まれたように建てられた寺堂で、まさに奇観! その辺全体が国宝に指定されている。

 後日、知ったことだが、三徳山(標高900m)全体三佛寺の境内で山の中腹に本堂。ここは天台宗の山岳寺院で、8世紀初め役行者が開山した神仏修験道の行場とか。道理で平日にもかかわらず登山姿の若者が多かった。
 わが身は鹿野温泉への途次、そうでなければ「投入堂」にもと思ったが、登山準備も時間も不足、「ここで数時間費やすは難」と入山あきらめ次の機会に譲ることにした。

 ・・・谷水の音にまぎれて老鶯や・・・

category 俳句  |  2009年 06月 24日 10:18  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

与島PA

 坂出北ICから瀬戸中央自動車道に入り岡山方面にむけ瀬戸大橋を渡る。明石海峡大橋が片側3車線広々しているのに比べると、ここ瀬戸大橋は片側2車線とやや狭い感じだが二層構造で、自動車道の下層には複線のレールが敷かれJR列車が走る。本州四国間結ぶ唯一の鉄道連絡橋でもある。

 この大橋は本州四国間つなぐ最初の自動車道として有名だが、後年神戸淡路鳴門自動車道が開通してからはその勢い往年より薄れた感がある。関西から四国への自動車道といえば、香川県(高松)や徳島県、高知県には距離的にも利便性からも瀬戸大橋を通るよりも明石海峡大橋を通る方が有利だし、愛媛県へも現に関西方面からの高速バスは大抵神戸淡路鳴門自動車道を通っているのをみてもそれがうかがえる。
となれば、瀬戸大橋をもっぱら利用するのは岡山県を中心に山陰方面からの車がほとんどで、同じ中国地方でも広島県や山口県の利用者はこれまた先年全線開通した西瀬戸自動車道を利用、今治に至る行程が多い。それらを勘案すると「鉄道橋としての重要性措けば、『四国への道』として瀬戸中央自動車道のウエイトはかなり低下したようだ」
 その瀬戸中央自動車道を久しぶりに走行した。当日が休日だったせいで普段になくたくさん乗用車が続いている。その車と相前後しながら法定速度で走行、途中、大橋の中間あたり、「与島PA」で休憩しようと走行車線から左に、螺旋状の車道を徐行しながら島に下る。巨大な橋脚を遠く眺めるところに、広い駐車場があって、そこに大小さまざまな車が百数十台停まっていた。
「与島PA」の休憩所、売店、食堂などの施設は、他の自動車道のSAとは比較にならぬほど広く大きい、島の半分が施設といっても過言でない。瀬戸中央自動車道が開通してまもない頃、ここに立ち寄ったことがあるが当時は物珍しさもあってか大勢の見物客が押し寄せ、車停めるのも往生した。施設内は人々満ち溢れ休憩するのも大変だった。当時と比べれば「月とすっぽん」だが、それでも休日を利用し千円旅を楽しむ人々がかなり多く、建物内の賑やかさはむかしに変らない。

「休日高速千円」はじまった最初の休日、東京湾アクアライン「海ほたるSA」では、折り返しの車がつめかけ大混雑、大勢の人々で大賑わいだったとテレビや新聞で報じていたが、ここ「与島PA」も同じように上・下線どちらからでも折り返しが可能なので、休日には「与島PA」へのドライブが結構多いのだろう。
「お上の仇情け」とはこれをいうか。

  ・・・鴎舞ふ与島の海辺梅雨晴るる・・・

category 俳句  |  2009年 06月 19日 09:27  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

明石でたこ焼

 長らくご無沙汰している明石、家から車で40分ほどの距離、いつでも行けるのだが格別用がないので訪ねることなかった。3年数ヶ月ぶりに訪れた。
 懐かしい明石城公園、堀端沿いの道を走行、市営駐車場に車を停め、そこから歩いて駅構内に行く。おりから昼時で構内の飲食店からは旨そうな匂いが立ち込めている。「どっかで食事を」と見回したがどこも客が一杯。
「それじゃーたこ焼きでも」と駅前広場に出、ビル横の小路を通ると「明石の玉子焼き・・」と染め抜いた紺暖簾がかかっている。「ここで食べよう」と店内に、ぼつぼつの客、席に坐り数分待って出された「たこ焼き」板上になかよく15コ並んでいる。

 柔らかく汁気十分なたまご焼き。丸い具の真ん中に細切りの蛸片がひとつ。食べ方だが明石では京風のすましに細く刻んだミツバを浮かせ七味芥子を少々加えた椀汁にたこ焼きをつけて食べる。最初が肝心で慌てて口に入れるとやけどするほど熱々だ。最初の1コは「ほうっ、ほうっ」いい、口中でほぐほぐ、味を楽しむ余裕なぞない。だが2コ、3コ食べるうちだんだん口がなれ、すまし味なじむたこ焼きがなんともいえぬ美味さ。
 そして後たこ焼き3コばかり残ったところで、それにはトンカツソースを塗りつけて食べる。
その味たるや祭りの夜店で食べたあのたこ焼き思い出す。懐かしい!
 ・・・ふっと吹きたこ焼き口に缶ビール・・・

category 俳句  |  2009年 06月 16日 09:16  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

『ノルウェイの森』

 小説『1Q84』が大評判、何処の書店も完売と聞く。著者村上春樹氏は海外においても高名な作家で、1987年発行の『ノルウェイの森』は海外とくにヨーロッパで好評を博したと聞く。中国でも翻訳本が100万部売れたと云う。
 ところでその『ノルウェイの森』だが、恥ずかしながら私はその小説を読んでない。そもそもいままで村上春樹氏の小説には無関心で全くの門外漢だった。
 ところが、偶々先日書店で赤と緑の色鮮やかな表紙(上)(下)2冊の講談社文庫『ノルウェイの森』をみかけ、「どんな内容だろうか」「どんな作家だろうか」妙に興味が湧き買い求め、1日がかりで読んでみた。

 読み始める前「ノルウェイ・・」の題から北欧の話かと想像したのがそもそも勘違いで、実はビートルズの歌名「ノルウェイの森」によると覚り、まずは己が浅学、無知を恥じる。
 小説の背景は1970年前後大学紛争時代、つまり現在60歳前の男性が成年のころの話しで、東京での大学生活を中心に20歳前の僕(ワタナベ君)の日々の体験と様々な男女交流が語られる。「登場人物すべて日本人、日本国内の物語なのになぜ外国人が関心もったのか・・?」「男女の性にまつわる心理描写の妙か・・」と感じたり。「緻密で繊細な心理描写の部分など自己体験に基づいているのでは」と察したり。「東京や京都など自然、風景の描写が優しいなぁ」と思ったり。「連絡手段が「手紙」と「電話」のやりとりだけだった頃の描写が生き生きしてるなぁ」と懐しかったり。ページ追ううち、処々(「・・・」と僕は言った。「・・・」彼女は言った。)という記述に目とまるたび「ここは英文訳( he said「・・・」.shi said「・・・」.)、中国語訳なら( 我説「・・・」,她説「・・・」,)の翻訳か」と余計なことを考えたり。
 そして『ノルウェイの森』の読後感・・・・理由はわからぬが「この小説、どこか神戸風だなぁ」と感じた。
 後で著者歴に「神戸高等学校卒業」の記載あるをみ「ははぁー」と納得。

・・・異人館坂に佇み汗拭ふ・・・

category 俳句  |  2009年 06月 11日 10:24  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

投げ釣り行

 1970年頃から庶民のゴルフ熱がだんだん高まったが、それまで一般大衆の楽しみといえばもっぱら海や河川の魚釣りだった。身軽で健康的な遊びゆえ全国的に広まったが、その頃は何処に行っても魚種は豊富だし魚影も濃く面白味があった。
 当時友人に勧められ投げ釣りを覚えた。日ごろ運動不足気味だったのでその解消にと生来不器用なのを棚に上げ、浜や磯に出かけ魚釣りに興じた。だが釣果はさっぱり、釣った魚も小物か外道ばかり、傍らで家内は「餌のほうが魚より値打ちあるわ」と皮肉り「下手の横好き」と酷評する始末。
 その頃のわが家は娘が2人、読書好き中学生の姉と対象的に、外遊びの好きな小学6年生の妹がいた。彼女は魚釣りや旅行が好きだったので晩秋のある日、日本海但馬海岸にと親子連れ立って釣りに出かけた。
 早朝神戸の自宅を出る。寝不足の目をこすりながら始発電車で姫路まで、そこから播但線で和田山に、山陰本線に乗換え但馬海岸の「柴山」まで。その駅からとぼとぼと港まで十数分、釣具かついで坂道を下る。やっと突堤に着くと既に地元の釣り人が数人竿を並べていた。それに加わり投げ竿を3本並べる。高い岸壁だが港内を見下ろすと深みがあって魚の気配、皆そこを狙い目に投竿していた。
 投げ竿1本を娘に任す。餌つけやリール巻きは彼女次第。残る2本は私持ち、ときどき餌を差し替えてジアイを待つ。その時分、釣果はぼつぼつで「ほどほどの釣りか」と半ばの期待。
 数時間の後私の竿先が「ずずっー」と動いた。「すわっ」とリールを巻く、手応え十分だ、引き上げてみると全長40cmほどの「かれい」だった。これまでの釣果では一番の大きさ。いつも小物ばかり釣ってるので「こんな小さいサカナを・・」と笑う家内の顔がそのとき浮かび「これで、どうだ!」と内心ほくそ笑む。
 それから小1時間、突然釣竿がしなった。「それっ」とリールを巻くが、こんどは前と違う重たさだ。まるで座布団を引きずるよう、やっと引き上げてみると「かれい」よりさらに丸く平たい厚身の「えい」だった。傍らの釣り人「えいの尻尾は毒があって危ない!早よう尻尾を切れ!」と叫ぶ。そこで手早く尻尾を切り落とし魚籠に入れる。その後は潮具合落ちて当たり続かず、時過ぎる。
 結果、釣果は2尾だけだが、かなりの大物、満足して納竿、港近くの食堂であったかい丼物を食して駅に折り返す。
 同じ帰路たどり、山陽本線姫路で乗り換えた快速列車内、隣席の壮年客が娘が手に持つ魚籠の「えい」に気づき「ほほう」と声をかける。娘、もの言わぬが得意顔、横のクーラーまで開いてもうひとつの獲物「かれい」を見せた。男客なに思ってか「ほほうー、これも釣ったの?」と愛想顔、娘と笑顔交わす。常には見知らぬ人とは話交わさぬシャイな子だが、このときばかりは「うん」とうなづいて嬉しそう。その横顔はなんとも微笑ましく可愛かった。

 それから30数年経った。最近偶々その話題が出たが、そのとき彼女は急に声高に
「あのとき私、大物を釣ったけど逃がしたんよー。針にかかってたのにねー。大きかったよー」と言った。記憶のどこかそんなことがあったようにも思われ「そうやったなぁー」と相槌うったものの「はて?どんな魚だったのかな?」と首かしげる。「蛸だったかな」と思ったり・・。記憶蘇らぬは悔しい限り。いよいよ老人ボケの始まりか。

  ・・・突堤に秋の日や射す竿納め・・・

category 俳句  |  2009年 06月 08日 10:19  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

シロギス

 関西地方や私の故郷四国では俗に「キスゴ」という。全長15〜30cm、表面は淡褐色だが肉白く透明感あり、青魚ほど生臭くないが何となく潮の香りする上品な魚。軽く塩焼し頬ばれば、生ビールに適いまさに夏の味覚だ。

 小学4年の夏、家近くの浜辺で夕涼み、昼間夢中だった川釣りの竹竿を持ち、餌のミミズそのまま針につけて、じゃぶじゃぶと腰までつかり波打ち際で釣り遊び。すると15cmほどの小魚がかかった。竿をあげると「キスゴ」だった。
「なんでミミズの餌で海の魚が釣れるの?」と首かしげたのを昨日のように思い出す。それが「シロギス」釣りの初体験。
 長じてからは専ら投げ釣り三昧。夏休みともなると車を駆り四国は言うに及ばず、淡路、紀州、丹後等々、そこいらの海浜に出かけ釣りに興じた。
 そんな中遠い記憶だが、同輩のサエグサ君と三重の浜島に出かけた釣行。海浜で夜を明かし早朝起きがけ、投釣り数回、突然「ビクッ」と大きな当たり、「スワッ」とリールを巻くと全長28cmのシロギスがかかった。いままでのナンバー1!「ブルン」という手応えやキス独特の引きの強さ、その感触は得もいえず忘れ難い。
 それと相前後するのは、同輩のシマダ君からの電話「近くの浜で「ピンギス」が仰山釣れてる」との誘い、いそいそと塩屋の浜に出かけ、二人揃って波打ち際に立ち、長い磯竿で「イソメ」をちょん掛けし「ピンギス」を仰山釣りあげたこと。シマダ君の奥さんがわざわざ砂浜まで魔法瓶をさげウイスキー入りの熱々コーヒーを届けてくれたこともあわせ懐かしい。

 とりわけ印象深いのは、舞鶴湾からモーターボートに乗って日本海に出「シロギス」釣りしたこと。当時親交あったナカウエさんの招きだったが、民宿で一泊、早朝起き出で舞鶴港からモーターボートで舞鶴湾外に、沖に浮かぶ冠島や丹後半島を眺めながら「シロギス」の釣り三昧。かなりの数釣り上げ、船縁に紐付けした魚籠に「シロギス」を投げ入れ泳がしていた。ところが釣り場を移動するとき迂闊にも魚籠を引き上げることを忘れ、魚籠ごと海中いずこかに流しオジャンに。
 船長のナカウエさん、釣果0となった後の魚数さびしいのを気の毒がってか、別れ際「シロギス」数十尾を私のアイスボックスにそっと入れた。これには痛く恐縮。
 後日、同じモーターボートで再度釣行、沖に出て夢中で「シロギス」を釣っていると、知らぬ間に海上保安庁の船が接近し、尋問を受ける。
 船長ナカウエさんが免状を提示して問答しばし。どうやら北朝鮮の不審船見張りらしく、いま思えば「拉致」「不法侵入」からむ警戒だったのか。
 そのほか、あれやこれや、「シロギス」釣りには山ほど思い出がある。そのひとつひとつの思い出にからむ人々、いま存命する方は少ない。
 ・・・鱚泳ぐ魚籠にイソメの餌揺るる・・・

category 俳句  |  2009年 06月 03日 22:20  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

スピード違反

 ここ10年来無事故・無違反、ゴールド(優良)運転免許証持つ身。過去を問えば11年前、北海道で制限時速を20キロオーバーしネズミ捕りにひっかかったことくらいか。その前、初違反となればはるかむかし、今を遡る33年前で、住宅公団前2車線の公道を走っていたとき、平生50キロ走行だが、場悪くそこは子どもの通学道、速度制限30キロを知らぬばかりに速度違反して反則切符を切られた。それからは「同じ轍を踏まず」とせいぜい用心してきたのだが、思わぬところに落とし穴あり。我が家離れて数千里、あろうことか北海道の旅先で同じ轍を踏んでしまった。
 いまも忘れぬ「平成10年10月9日午後2時7分」北海道ぐるり一周の旅も後半、苫小牧から函館まで道央自動車道を走行、途中「登別東IC」で一般道(5号線)に下り、直ぐの交差点が赤信号でひとまず停車、2車線公道だったが「すわっ発進」とアクセル踏み約300m、そこに網張る北海道警、気づくのが遅かった。自動車道をずっとかなりのスピードで運転していたので、一般道での速度感覚にあわせるには寸刻足らず、違反の網にひっかかったのだ。
 手渡された「交通反則告知書」には、「札幌方面室蘭警察署巡査長何の何某―記名捺印、登別市中登別町無番地付近道路、指定速度50km/hのところ78km/h走行、速度違反28キロ、反則金18000円」と記載されている。
 違反切符を手渡しながら「北海道は道がいいから旅行者がスピード出し過ぎ大事故になる事件が多いです。あなた、いいお歳ですから、道中くれぐれも安全運転、気をつけてね!」と憐れむ巡査の口裏、当方なぜか憮然たる思い。いまもその「交通反則告知書」を北海道警察本部に振り込んだ国庫金「現金納付書」とともに保存、後日の戒めにしている。
 幸いにも以後さしたる違反なく (・・かようなことに足元すくわれる愚行なく・・という意)今日に至っているが、かれこれ10日間、北海道ドライブの旅がよかっただけに、室蘭でのネズミ捕りの悪夢冷めやらずである。
 そのときの行き先は「登別温泉」、標高549m四方嶺山頂にロープウエイで上り、約180頭飼育する「のぼりべつクマ牧場」だったが、

そこで出合った熊公たちの図々しい立居振舞、その写真みるたび、ネズミ捕りの一件が交錯し、忌々しい思いが募ってならない。 クワバラ・クワバラ!
 
・・・北海道香る小豆の懐かしや・・・

category 俳句  |  2009年 05月 29日 14:56  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

神戸騒動

 5月16日公になった新型インフルエンザの国内初感染者、1週間経過後のいま「大山鳴動して鼠一匹」の観なきにしも非ず、23日の神戸新聞朝刊を広げて目を瞠った。それは何事!「神戸市内わが住む北区が感染者数最多」の事実を知ったのだ。

 上図の地区別色分け、赤色は感染者21人以上、黄色が11〜20人、緑色が6〜10人、そして青色5人以下となっている「兵庫県内各市町村別感染者状況」、これで見ると「大騒ぎになった神戸高校や兵庫高校の所在地、また、客足途絶え閑古鳥鳴き臨時休業のやむなきに至った三宮地区など、神戸市中枢地区の感染者は各区せいぜい6人〜20人程度に比べ、わが住む北区はなんと21人以上も感染者がいる事実、これを人口密度で観察すると神戸市の他の各区の人口密度は4020人〜8880人だが、これに比し北区は広域ゆえに人口密度が1桁少なく942人、その割合にありながら感染者数は2倍の多さ、他区に比べて圧倒的に高率。それに思い至り「兵庫県や神戸市の情報公開は、感染者がどこに住んでいるかにつき細かい配慮に欠けいささか杜撰では・・・?」と疑った。そうでなければマスコミの採りあげ方に問題がある。。
「神戸市では北区の感染者が最も多い」ことも知らず「神戸の街なかはえらいこっちゃなぁ〜」と高を括りのんびり構えていたことに憮然の態。
聞くところ北区有馬温泉では宿泊予約の取り消し万余を超え悲鳴をあげているとか、意外や県外人、その事実を掴んでいたのではと勘ぐりたくなる。「灯台下暗し」とはこれをいうか。
まぁーしかし!冷静に考えると、神戸市の総人口は153万人、そのうち感染者は103人、となれば確率的には0.0067%、微々たる数値、宝くじ当てるよりも淡い。「とかく騒ぎ過ぎだ!」と言いたいが、これ即ち「引かれ者の小唄」か。

  ・・・山越へて有馬の谷間夏兆す・・・
 

category 俳句  |  2009年 05月 25日 09:16  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

腱鞘炎に悩む

 どうしたものか、十数年間馴れ親しんだワープロやパソコンによるのか、いつのまにか両手の指が節くれ立ってきたのに気づいた。そのうちだんだん右手の中指が引っ張られるような痛さ、指の屈折がままならぬ症状。
 そこで久しくご無沙汰していた整形外科に赴き診てもらったところ、医者は、
「腱鞘炎です」と一言。わが内掌の真ん中辺にマジックインキで○を画き「ここにスーパーライザー光線をあて療治しましょう。消炎鎮痛剤も塗り、しばらく経過をみてみましょう」と仰る。光線あてるだけで毎日通院には参った。診療所へは電車か車、何れにしても厄介だ。「たかだか3分間の光線あてるのに毎日わざわざ・・」とウンザリ。でも深夜ときどき指先の痛みで目覚めることがあり、そのとき「やっぱり医者に・・」の思いも絶ち難い。
 さて、ここ神戸はなべてそうなのか?わが行く整形外科では外来は少ない。インフルエンザを警戒し診察は私と他に一人。待たずに受診できるのは有難いが、当の医者はさっぱり商売上がったりではと勘ぐる。整形外科は足腰の痛みに悩む高齢者が大半、インフルエンザ怯え通院控える患者が多いとみえる。
 それは別としてわが身はこれから毎日通院、医者は「不精して痛みが引かなければ2週間後に痛い注射を・・」と脅す。そこで処方箋を有難く頂戴、薬局でもらった塗布薬を大事に持ち帰る。

きょうから毎日欠がさず薬を塗り、指先はあんまり酷使しないと決めた。パソコンは当分お預けか。

 今朝からの曇空、梅雨近づくせいか鬱陶しい庭先、でも「やまもも」に若芽吹き始めた。夏近し!

 ・・・やまももに紅き若芽や萌え出でて・・・

category 俳句  |  2009年 05月 21日 13:20  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

これから一週間

「天気予報、日曜日は雨らしいわ。せっかくの楽しみ、パレードに出る人らびっしょり濡れるのが気の毒やねぇ」と家内が言ったのは金曜日、明日から始まる「神戸まつり」前の夕刻。
 予報どおり日曜日は風まじり冷たい雨が終日降りに降った。それを窓越し眺め彼女は、
「こんな雨降り、やっぱり「神戸まつり」は中止でよかったんや」とつぶやいたのが日曜当日の午前。
 その悪天候ようやく去りきょう月曜日は爽やかな晴天、明るい青空、昨日の雨がウソのよう。

テレビやラジオ、新聞で「新型インフルエンザ国内感染者神戸に・・」のニュースが駆け巡り「神戸に初・・」の話題しきり。神戸高校の発症はそれなりに事情判明したが、それに止まらずぼつぼつと企業関係に影響出始めた模様。それも神戸発のニュアンス。そんなニュースを視聴していると、不意、心の隅に「なぜ?」という疑問が生じる。
「その疑いの一は、神戸にこんなに感染者が多いのに東京や名古屋、福岡など神戸よりはるかに人口多い他の都市で患者が少しも出ないのは何故だろう。 その疑いの二は、日本では斯様に感染者が激増しているのに、日本と比較し衛生的に優れているとはいえぬ隣国、中国や韓国で感染者・発症者がまったく増えない不思議さ。何故だろうか」という思い。
 皮相的、独断的と非難されるかもしれぬが、そんな疑いを誰も持たないことを、とても不思議に思う。なぜなら、私は神戸市民だから、そして日本国民だから。
 これから一週間、神戸の街は人災の嵐、ただただ頭を低くして時の過ぎるのを待つのみ!

  ・・・六甲の木木相揺れて青あらし・・・

category 俳句  |  2009年 05月 18日 23:05  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

神戸港中突堤

「久しぶりやなぁー、港で暇つぶしせぇーへんか」 こんな誘いを受けた。昔々の職場の同僚、といっても随分古い朋輩でいまは古希を疾うに過ぎた老輩同士、神戸港中突堤で落ち合う。
「一度会いたいですね」と記す賀状を頂戴し、去年再会したのが十数年ぶりのこと、それから早くも一年経った。年とれば月日の経過がいやに早い。
 心中「こうしよう」と思ってもついついそのままになりがち、後で「ああ、残念!」と悔いること多いきょうこの頃、それが嫌、「思い立てば即・・」という気分、土曜の昼、港に出かける。
 神戸に住みながら中突堤に立ち寄ることは滅多にない、だからその辺りの変り様が妙に懐かしい。
 数十年前その辺りは艀がぎょうさん横付けしていたし、雑多な往来で港湾労働者がめまぐるしく働いていた。そんな荷場だったのだが、本来海面だったところが数十米埋め立てられ広い道路になって、そこに「中突堤中央ターミナル(かもめりあ)」というスマートな建物がたっていた。そこは神戸港観光拠点で周遊船の乗場や待合室、大した変り様。友人語るには、
「ここの待合室はなぁー、気楽に飲んだり喋ったりできるし、ゆっくり時を過ごすのに絶好や。だいいちタダやしなぁー」どうやらここを繁々利用するようだ。
 そこのソファーに坐りぼつぼつ世間話。話の合間窓外を眺めると、ハーバーランドへの道路を若い二人連れがゆっくり通り過ぎてゆく。
「いつもは韓国人や中国人の観光客がようけ通りよったのになぁー。最近は円高のせいか、あんまりおらんなぁー」と友人つぶやく。
「まあー、長い連休明けや。遊ぶ金使い果たした後の休日ならこんなもんやろ」と頷いた。
 フロアーには乗船待ちの客や静かに港眺める人々ちらほら、窓外には停泊船が数隻、まことにノンビリした風景で時間が止まったかのよう。

 そして数刻、船出の案内がマイクを通じ辺りに響く。建物前の埠頭には海賊船摸した船「ヴィラジオ イタリア」号が停泊中でまもなく出港の態。この船、埠頭から神戸空港までの間を周遊する観光船だった。

   ・・・春の海どこまで青き緑かな・・・

category 俳句  |  2009年 05月 14日 10:07  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

赤福餅や

「到来の赤福もちや伊勢の春」(子規)の句綴る薄紅色の和紙、朱色福々しく筆文字「赤福」の紙包みを貰い、我知れず顔がほころんだ。

 前日来三重に行ってた長女の手土産である。若い時分伊勢の旅、伝統三百年の老舗「赤福」の古座敷赤絨毯に腰掛け、できたての赤福を頬張り渋茶すすった思い出が蘇る。「赤福」手にする度、若い気分に返るのは不思議。だが年老いるは無情の限り、はじめ「うまいうまい」と二個、三個食べるうち、だんだん甘さに負けて昔ほどには食べられない。味覚衰えたせいかいまの「赤福」はなんだか甘すぎるように感じるが「そんなことないか?」

 5月10日は「母の日」久しぶりに大阪から次女来る。花に目なき家内に「カーネーション」ならぬ「デンドロビューム」の鉢を呈しご機嫌伺い。
 明けて11日のきょう、テレビでMLBレッドソックス対レイズのLIVE放送を観賞。現地は時差都合で10日「母の日」、そんなことで球場内、敵・味方を問わずチーム全員が胸のマークの上辺りに結びリボンの「母の日」ワッペンをつけている。また、バッターボックスに立つプレイヤーのバット全体ピンク色に塗っており、どの選手も同様。さすがアメリカである。「母の愛前にして、いかつき男ども皆伏す!」というシーン。
 ふと思った。赤福の外装といい、デンドロビュームの花といい、観てる野球といい、すべて桃色づくめ。「平和! これに過ぎるものなし!」

  ・・・老妻に贈られし鉢母の日や・・・

category 俳句  |  2009年 05月 11日 16:52  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

新宮のとろろ飯

 連休最終日の夜、私に新聞の切抜きを指差し家内が一言、
「この店の「とろろめし定食」を食べてみたいわー」
 一瞥すると「おでかけ情報―食べ歩き」欄で、たつの市新宮町福栖にある「とろろ亭」の案内。
皮肉なことに私は子どもの頃から「とろろ」が苦手、いまもってあまり口にしないが、家内は大の「とろろ好き」ときている。
「ヤマイモはトロロにするとネバネバがでんぷんを包み込み、消化吸収が緩やかになり血糖値が上がりにくくなるため、糖尿病患者に注目され、また、便通にいいばかりか余分な糖質を対外に排出してくれる働きをする」との有り難い解説、日ごろ悩み多い家内にとってうってつけの妙剤だ。
自分苦手の「とろろ」とて、あんまり気乗りしないが、偶には女房孝行でもとたつの市新宮町まで出かけた。
 平日ゆえ「高速利用で1000円」とはゆかぬ。そこで神戸から第二神明道路・姫路バイパスを経由、国道2号線・国道179号線を走行、龍野市内を通過、揖保川沿いに北上。この国道俗に出雲街道というが新宮町からは栗栖川沿いにさらに北に、「道の駅しんぐう」を通過してしばらく、道の西側に大きな看板の「とろろ亭」があった。

 店に入る、11時開店の一番乗り。やや遅れ同年輩の老夫婦が2組相続いで来店、どうやら同じ記事を見てのお越しらしい。同じく「とろろめし定食」を所望している。しばらくして家内のテーブルにそのお膳が運ばれてきた。

「とろろめし定食」はこの店の一番人気、4種類のイモを使いとろろの粘りと香りをうまくからませる逸物。熱々のご飯にとろろをかけ、箸でかきまぜ食するのだが、食する家内至極ご満悦の態。
それを横目に「とろろ」苦手の老輩、氷片を下に、刻みきゅうりと薄切りかまぼこを上に載す「冷しもりそば」をすすって、遠出の食事とする。

 ・・・山若葉風のまにまに色冴えて・・・

category 俳句  |  2009年 05月 08日 14:04  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

セトレ ハイランド ヴィラ

 4月29日の休日を利用し姫路市広嶺山中腹のホテル「セトレ ハイランド ヴィラ」に出かけた。当日午後自宅を出発、山陽自動車道神戸西ICから姫路東ICまで走行約40分、そこからは一般道で市川の橋を渡り姫路市内に入る。そして方向を北に、姫路競馬場の東側を通過、その辺で進行方向の山上にコンクリート造3階建の建物がちらほら見えてくる。それを目当てに町並みを抜けるとやがて山麓に至りそこからは坂道、広峯神社の参道でもあり、広嶺山への登山道でもある。乗用車がやっとすれ違うほどの道幅だがそんな山道は四国の遍路道運転で手慣れたもの、まがりくねった坂道を対向車を警戒しつつゆっくり上り、セトレ ハイランド ヴィラに到着。
 セトレ ハイランド ヴィラは、もとを糺せば国民年金の健康保養センターだったのだが、まあーご時世がら事情あっていまは民間に移管、設備も運営もすっかり一新、イメージチェンジ100%!ハイカラなリゾートホテルになっている。
 「忙しい日常からほんの少しだけ離れて、何度でも自分をリセットできる、そんなニュートラルな場所」というのが謳い文句だが、設備も応対もまことに申し分なく心安らぐ夜を過ごす。
山腹から眺める姫路遠景はのびやか、ことに夜更けドゴールの湯(人工温泉)から眺める街の夜景はことのほか美しい。

 一夜明け宿を出、ことのついでにとヴィラ前からさらに山上に広峯神社まで上った。ところが鳥居前が駐車場になっていてそこからは歩き参道、案内によればこの神社は格式高く本殿は室町時代中期の建物、国の指定重要文化財とか。早朝登山を兼ねた参詣者が三々五々歩いていた。

 ・・・紫に白きつつじの花小道・・・

category 俳句  |  2009年 05月 05日 08:59  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )