ピーのくちばし
夕食は大広間、どなたも袖ふれあう縁の老夫婦ばかり、静かな食事がすすむ。
料理運ばれる合間ふと卓上をみやると漆塗り木彫りの爪楊枝入れが置いてあった。興味覚え手元にひき寄せ木箱についているつまみを下に押すと箱がポンと開き箱上の小鳥がくちばしを箱中に入れ爪楊枝を一本口にくわえ、「どうぞ!」の仕草。
その仕掛けの妙、面白く思わず頬がゆるんだ。その可愛さがなんとも楽しい。そこで食膳運ぶ婦人に、
「この爪楊枝入れどこで売っています?」ときくと、「下呂のお土産です。宿の売店にありますよ」とのこと。
さっそく旅土産に数個買って帰った。数日後来宅した娘たちと家で食事中にそれを取り出し小鳥が爪楊枝くわえる様を披露すると、みんな大笑い。気に入られたようなので進呈した。
その楊枝入れの木彫りの鳥はまん丸い顔形、どんぐり目、とがった嘴、愛嬌ある所作がむかし家で飼っていた文鳥「ピー」にそっくり。そこで「ピーのくちばし」と命名。いまも食卓に置き時々楽しんでいる。
・・・ほのぼのと香るコーヒー雪の朝・・・
category 俳句 | 2012年 02月 02日 08:38 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
詮無きは
その現実を直接目にしたのは昨年末のこと、板門店にでかけ軍事境界線近くの臨津閣のだだっ広い駐車場でバスを降りた際、近くに山積みで物資を満載した十数台の大型貨物が待機していた。
そこでガイドにきくと「北朝鮮に送る援助物資を積んだ一行です」という。
「やっぱりなぁ!なんだかんだ言っても血のつながりには勝てんなぁ」と感じたが、その日は北朝鮮首領急死2日前のことだった。
さて1月28日韓国東亜日報の記事。
「金総書記死後初めて北に送られる小麦粉」の見出し。
「北朝鮮に手渡すことになる小麦粉180トンを積み込んだトラックが27日、京畿道高陽市(キョンギド・コヤンシ)から、北朝鮮に向け走っている。(その写真)
開城(ケソン)工業地区・企業責任者会議が用意したこの小麦粉は、黄海道(ファンへド)北部地域の小学校や幼稚園、託児所5ヵ所に引き渡される。民間レベルの北朝鮮向け小麦粉の支援は、昨年12月、金正日(キム・ジョンイル)総書記の死後初めてのこと。」
「これじゃー、日本だけイキリたっても詮無いなぁ」と思った。
世の中思惑どおり事が運ばぬことが多い。複雑怪奇な国相手尋常の手段では一歩も前進できぬ。とあらばここらで一思案あって然るべきか。
・・・厳寒のイムジン河や水流る・・・
category 俳句 | 2012年 01月 30日 09:06 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
石鎚遠望
またこの国道は四国山脈を越える道で上り下り曲折が多く、冬場には道が凍りおのずから慎重運転、速度を加減せざるを得ない。それに山間部で降雪に悩みながら走行し高知県側仁淀川沿い徐々に視界開けほっと一息。そのころになりふっと宿の朝食が和食だったのを思い出しコーヒー、トーストが無暗に恋しくなった。そこで佐川町を通り過ぎ峠を下った辺り道沿いにシックな喫茶店をみつけそこで休憩してコーヒーの香り楽しむ。そうして高知市に入り所用をすます。
その夜は川沿いの「カンポ伊野」に泊る。高層の窓から仁淀川が眺められるが、近くの川原にシラサギがいて餌をもとめる風景あり長閑だった。
当夜は地酒にマグロ尽しの食事。明けて早朝6時に起き朝湯に、平日ゆえ人影がない。軽く体をほぐして露天湯にゆっくり浸る。
湯上りさわやか気分で廊下を戻るときふと窓外北西方向に目をやると、昨日通った国道近い石鎚山系が遠く望まれ、その山頂に白雪がまぶしく光って見えた。その美景をしばし眺める。
・・・石鎚の山なみ遥か白雪や・・・
category 俳句 | 2012年 01月 26日 09:24 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
津波シンドローム
未だ春遠い1月というのにもう老若男女の歩き遍路が一人、二人と通り過ぎてゆくのも珍しい。徳島日和佐の薬王寺から次の札所高知室戸の最御崎寺までは遠く長い道程である。歩き疲れかはたまた思案しての道ゆきか、杖つきゆっくり歩む姿は見るも難儀。そんななか楽し気に語りながら歩む若い男女をみつけほっとする。
こうして車走らせること長時間、高知県東端東洋町に入る。もと甲浦という地だがその手前、湾は狭いが広い砂浜がある。そこは白浜海水浴場で広い駐車場に入り一刻の休憩。
その日は無風にして快晴、昼近く陽光燦々、砂浜の端に立って海を眺める。一息つき「さて出発!」と歩み始めて気づいたが近くに看板が立っていた。
みると南海地震に備えての避難案内。「津波に注意しよう!」の大文字。白浜人工地盤上の避難場所への道案内。「→100m」の矢印あって「ここは東洋町白浜海岸です。地震発生から約5分で津波第1波が来ます。その後、最大約8mの津波が何回も押寄せます。(約6時間も津波危険あり)」の説明。さらに「でも大丈夫!人工地盤に避難しよう。」と記してある。
ご丁寧にもやや太字で「約8mの津波が来てもまだ4mの余裕がある高さ設定」とある。つまり避難場所は高さ12mというのだ。
そこでふと不安になった。果たして想定内ですむだろうか。東北の津波では3階建の屋内が総なめになったと聞いている。津波の高さは優に20mを超えるのではないか。それを考慮すればいかに津波に耐える人工地盤上であっても海抜12mの避難台では助かる命も覚束ないではと危惧した。
そして「ここから避難するとなればもっと高い処へゆかねば」と思ったがそう思う私は津波シンドロームにかかっているのだろうか。
・・・冬うらら砂浜に坐し明日思ふ・・・
category 俳句 | 2012年 01月 23日 09:01 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
断捨離
「・・・知人友人が遠いところに旅立ちまた老々介護というきびしい現実に対峙しているケースが目立ちましたが お互いに八十路に入り苦労して買ったものは現在不要品の山 一大決心で処分することとしボランティアに供するものの外は金を払って捨てに捨てたものです 最后には此の世も捨てるものと考えましたが・・・」と葉書いっぱい書き連ねている。
しみじみ一読。そして思案わがことに及ぶ。というのは、ここ数年事あるごと家内から、
「あんたね、いい歳やからね、身辺を整理してね。要らんモンはどんどんホカしてね!」とせかされている。
当方その意に応え、只々「うん、うん」と頷いてばかりだが、「いざっ」となるとなかなかモノの始末は捗らない。それが不満の彼女。
「ほらね!キヨトオさんもちゃんと処分してるでしょうが。あんたも今年はしっかりやってね」とせっつく。
そんなことで年明け早々手始めにと古書をひっぱりだし、紙類供出の一助に励んだ。
ところが、今日もきょうとてまたまた、
「あんた、この年賀状もそうよ!」と差し出すは知人トミナガさんの年賀状。そこに、
「・・・私は家の中の「断捨離」をしています」と添書がしてある。
「ほらね、みんなしてるでしょうが。そんな心境になってあたりまえよ!」と彼女はつぶやく。
して、「断捨離」とはそもそも何の意か手近な雑誌めくると、「断」は要らないモノはもらわず要るモノだけ取り入れる。「捨」はゴミ、ガラクタを捨てリサイクルし、お気に入りに絞る。「離」は自分がわかりご機嫌な状態、俯瞰の視点が身につくをいうらしい。
つまり「私」という自分軸を意識し「いまの自分にとって相応しい」モノ、コト、ヒトが自動的に絞り込まれるをいうらしい。
なんだかわかりにくいが、キヨトオさんの年賀状の文言借りれば「捨てに捨てる」境地を味わうことと解した。
そこで言わずもがな「もう背広なんか要らん。着疲れする衣類を一切処分して」と告げたら、
「云われんでもそんなモノ、とっくに処分したわ」と返された。
そこで思わずつぶやいた。「色即是空」
・・・ペン書の賀状に浮ぶ面影や・・・
category 俳句 | 2012年 01月 20日 09:24 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
坂本龍馬記念館
その広場から見上げる記念館建物は一見派手な外観で驚ろくが館内に入ってみればごく平凡、その日は訪れる人少なく静かで落ち着いた雰囲気だった。
ガイド嬢の案内でまず地下2階に下りそこから上階に向かって展示場を見て回った。展示は地上2階まであってほとんどは文書や写真。有名な京都近江屋暗殺跡「血痕のついた掛け軸と屏風」や維新前の古文書「新政府綱領八策」「薩長同盟裏書」などは複製ながら関心深く眺めた。
なかには真筆もある。姉乙女あて「海援隊長になったときの喜びの手紙」、暗殺二日前陸奥宗光に宛てた「龍馬現存最後の手紙」など興味深く観察。墨痕あざやかすらすらと記した筆跡は放縦にして磊落、龍馬の性格が伝わるように感じられた。
観覧を終え出口に向うと壁際に海援隊長坂本龍馬、陸援隊長中岡慎太郎並ぶ小さなブロンズ像が置いてあった。来館記念にデジカメに納める。(2008年 深秋)
・・・秋の海眺めてあきず龍馬立つ・・・
category 俳句 | 2012年 01月 18日 09:49 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
折り込み2枚
「あんた見て。この格好、あんたそっくりやわ」とニヤリ。
見れば座り込んで靴下をはいている老人の姿態。横にフレーズ“何歳になっても ひとりで 歩きたい。”の講釈がついている。いわれてみれば毎朝こんな情けない格好で靴下をはいているわが姿がダブる。最近長歩きすること少なく脚力とみに衰え無力感覚えるが、まだまだ歩けるだけでも結構と思っている。だがこのまま引き下がるのも癪、そこで、
「おまえ、そこのもう1枚の広告見せてみい。どんな絵をかいてるんや? そっちは違う絵やろ」と声をかける。
すると同じ製品の広告だがもう1枚あって、
「なんでおんなじ薬の広告が2枚入ってるんやろ?」
と彼女が首かしげ差し出すチラシには、老齢の女性が草いじりしている様子描かれ、“歩くより、座るほうが こたえる。“のフレーズがついている。
常日ごろ歩くのがつらく炬燵に坐ってばかり。たまに動くはせいぜい庭の草花相手の家内にぴったりの姿態だ。見れば見るほどそっくりにみえる。そこで、
「なんや!この絵はおまえそっくりやなぁ。ほんま!よう似てるわ」と一矢報いてやった。
その広告はサントリーの保健薬の宣伝。“いたわる。ささえる。サントリーグルコサミン・・”とフレーズが連なるが、老輩に云わせれば「いたわる。ささえる。」とくれば後は「老夫婦」とくっつけたい。ふだん会話途絶えがちなきょうこの頃。
「たまにはこんな他愛ない話でも交わさねば一緒におれぬ歳になったなぁ」と実感。
・・・うとうとと炬燵に倚りて目も覚めず・・・
category 俳句 | 2012年 01月 12日 08:43 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
堪忍袋論
そこに、「追い詰められ暴発するのは日本人だけ。韓国人も朝鮮人もアメリカ人も暴発しない」とあって、
太平洋戦争で日本軍部は追い詰められたとして真珠湾を攻撃した。冷静に考えればアメリカに勝てない。石油がないしアメリカ本土を攻撃する能力がない。勝算なしに戦争に突入したその責任は重い。天皇に戦争を迫った高官たちは誰ひとり自らの責任をとらなかった。何百万人もの国民を殺した責任を戦後の政府も問わなかった。
日本人は追い詰められると暴発する。外交交渉で決裂を通告すると日本人は本当に決裂と思い込み帰ってしまう。北朝鮮の外交官は決裂を宣告されると初めて譲歩する。追い詰められてから、本格交渉が始まるのだ。日本を真珠湾攻撃に至らしめたハル米国務長官の「ハル・ノート」を日本の首脳陣は「最後通告」と勝手にみなした。欧米の考えでは「最後通告」から本格交渉が始まる。ハル国務長官はまさか日本が「暴発」するとは考えてもいなかったのである。
なぜ日本人は暴発するのか。忍耐が美徳だからだ。自分の主張を抑えても「和」を重んじる。だが、国際政治の面から見直すと、島国の国民は島を逃げ出そうと思っても船に乗らなければどこにも行けない。一方、半島国家は陸続きだから国境を越えればどこでも行ける。日本人は自分の住むところがいやになっても中国や欧州、アフリカには行けない。そうなると「和」を尊び、いやなことも耐えるしかない。耐えられなくなると「堪忍袋」が切れ、突然怒り出す。「おれだって堪忍袋の緒が切れた」と言えば、日本人は納得する。しかし、韓国人や朝鮮人、アメリカ人には通用しない。「俺だって我慢したのだ」と言えば「そんなにいやなら、どうして最初から言わなかったのか」と反論されるだけだ。「堪忍袋」は日本人にしかない。これが、日本人にはわからないのだ。
朝鮮半島の人々はいやなら国境を越えてまず中国に歩いて行ける。さらにインドからイラン、エジプト、アフリカ、ヨーロッパまで歩いて行ける。その心理的余裕は日本人にない。だから半島国家の人々には、日本人が考える「追い詰めたら暴発する」という考えはない。むしろ「追い詰められても逃げ道はいくらでもある」と考える。
日本人はいやなことを「いやだ」と言わない。韓国人も朝鮮人もいやなことは「いやだ」とはっきり言う。彼らは言葉の民族である。言わなければわからない人間関係である。
日本人は「無言」の民族である。言わなくてもわかる以心伝心が人間関係の基本になっている。だから「追い詰めると暴発する」と考える。朝鮮人も韓国人も、追い詰められる前に、主張する人々であることがわからない。追い詰められるまで黙っているのは、国際政治ではありえないことなのだ。というのである。
そこで思う。日本の外交交渉の拙劣さはその民族性にあるということ。核6カ国交渉の北朝鮮外交のしたたかさ、強腰、ねばり腰は国際政治の面でいえばきわめてあたりまえの戦術だということ。
さすれば、堪忍袋もほどほどにして、北朝鮮に対してはまともに接せず適当にあしらえばいいということ。
・・・この寒さ暫しと思ふ空青し・・・
category 俳句 | 2012年 01月 09日 08:40 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
正月明けて
「・・・喜寿。そう思うと、自分の人生が気になってくる。ぼくの人生は、どうして今のようになってきたのか。・・・」と続く。
私より4歳も若い三木さん、だが世代に共通点あり同感すること多い。
「・・・孫子(まごこ)にかこまれて、福々しい老年を迎えられるような気がしていたが、気づくと親兄弟が全部いなくなり、家内がいなくなって、娘と2人だけの暮らしになっている。」
ここまで読んで、全くとは云えないが「まあ似たような境遇だなぁ」と自分に照らし合わせる。
「女はしぶといから、家内が生き残って、後始末をすることになる、と思いこんでいた。その家内とは47年、夫婦だった。」
三木さんは妻に先立たれいま77歳の身である。今も妻ある私とはそこが異なるなと感じながら次を読む。
「47年、いろいろ大変だった。ぼくはやさしくて、控えめで、かわいい女性だと思って結婚したのだけれど、そんな甘いものではなかった。・・・そのことの始まりは、もう半世紀以上も前、ということになる。ぼくは・・・テレビも、洗濯機も持っていない貧しい若者だった。そこへある晩、洗面器と歯ブラシを持った女の子がやって来て泊まっていった。それが問題だった。」
そんな時代だったなぁと若いころの自分を想いだしながら読み続ける。
「押しかけてまで来てくれたのだから、尽くしてくれる世話女房、と喜んだのだが、これはまったくの誤解で、相手には相手の理屈があった。ぼくは、彼女に彼女の都合で選ばれていてぼくはぼくの都合でいい人を選ぶチャンスを失っていたということだった。」
尽くしてくれる女房とは男性共通の思いこみ、だれも同じなんだなぁと納得。自分たちは押しかけ女房ではないがまあ似たようなもんだと思い、さらに読み続ける。
「・・・少しずつわかってきたことは、どうやらそれは偶然でも、選択の間違いでもなく、ぼくはそういう、本性をあらわしてからの彼女が、それなりに好きだったようだ。」
そこまで読んで「長い結婚生活、総括すればそういうことだったんだ」と頷いた。
そして窓外を眺める。早朝の庭、ちらちらと雪が舞う。樹上に残る白雪を眺めて一句。
・・・舞ふ雪に昔の君を想ひけり・・・
category 俳句 | 2012年 01月 05日 09:12 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
神戸イルミナージュ
クリスマス明け26日に会場・神戸フルーツ・フラワーパークに出かける。
せっかく行くのだからゆっくり楽しまねばと当夜そのホテルに宿泊することにして午後3時過ぎチェックイン。
点灯時刻は午後5時半とのこと。そこでホテル内の温泉「茜の湯」に入りしばし休憩。
鉄分、ナトリゥム含む茶褐色の含塩泉の露天風呂に首までつかり疲れを癒す。
そのころからひらひらと雪降り始め、点灯時刻迫る頃には広場はうっすら雪化粧。白いじゅうたん模様かかり徐々にうす暗くなる空間、後はLED多色の照明待つばかり。
定刻となった。広場を抜けるように鐘の音が響きわたり、同時に暗黒のとばりがパット明るくなる。 幻想的シーンが辺りに展開。その美しさに一瞬おいて観衆がわっとどよめく。
その日はクリスマス過ぎ、ウイークデイの夜なので入場者はそう多くなかった。それだけに静かな、ゆったりした雰囲気がただよい、三三五五そぞろ歩く人の群れ。立ち止まって子どもと戯れる家族連れやあちらこちら写真に夢中の若い男女連れなど、和やかな時間がゆっくりと流れるように過ぎていった。
老輩も美しい灯火を眺め一息いれて、日ごろの疲れを忘れる。
・・・鮮やかなイルミ目に沁む冬の宵・・・
category 俳句 | 2011年 12月 29日 08:41 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
滑稽譚
ハングル文字は表音文字で字形が口や舌の形を表すと誰かから聞いたように思うが、その真否はともかくハングル文字が縦横に躍る看板をじっと眺めているとだんだん文字が模様になって脳中をグルグルまわる感じがする。
そんな看板の中に英文字がポツンと見えたりするとなんだかホッとするのも妙である。子どもがカナ文字覚えるように発音だけはできるがその意味が不明ゆえ何の役にも立たなくいたずらに音読み繰り返し頭をひねるだけである。なかに「キムチ」と読める看板を見つけ「この店は食品店だ」と納得するが精一杯。
そんな繰り返ししているうちにバスはひょろっとした松が数本立ち並ぶ街の一角を通り過ぎる。
それを見て「日本では松はすぐ枯れるのに韓国の松は枯れないんだなぁ」と気づいた。ソウルの街は車多く排気ガスも並みでないのに街中あちらこちら松があり悠然と立ち並んでいる。
「人間様同様!韓国の松はしぶといなぁ。日本とは一味違うな」と感心。
というのも、目下慰安婦問題持ち出し韓国民が日本大使館前に女子像を置いてあるとかいう。念入りにもこの度来日した韓国の大統領が日本の総理大臣に対し「謝らなければ慰安婦像が次々置かれる事態になる・・」と言ったとか。
それが事実なら70余年前の昔話をいまなお蒸し返しそれを会談の主題にする「そのしぶとさ」は只々凄いの一語。
しかもそれに前後しお隣北朝鮮に大異変。一大事なのに両首脳ともとんと知らなかったとは。
こうなると三島由紀夫の言葉、「まことに人生はままならぬもので、生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である」と言わざるを得ない。
・・・寒波くる山並遥か雪の白・・・
category 俳句 | 2011年 12月 26日 09:12 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
臨津江
ここは1972年南北共同声明が発表された直後開発された韓国の観光地でもある。1950年6月25日勃発した朝鮮戦争、民族対立の悲しみが刻み込まれた遺物や戦跡記念物が保存され南北分断の悲劇を確認、南北統一を願う場所になっている。
そこを出ると警戒厳重なDMZ(非武装地帯)に入る。次は、ソウルまで僅か52キロという場所で発見された北朝鮮軍第3トンネルの視察である。長さ1635米、幅2米、完全武装の兵士3万人が1時間以内に移動し韓国内に侵入できる大規模なトンネルだが、発見された坑道入口までは2〜30度傾斜のトンネル道を350米歩かねばならない。
「せっかくここまできたのだから」と老躯鞭うち歩いたところさすがに疲労困憊。それに足痛も加わり往生をきわめる。やっと辿り着いた坑道入口前から先は天井低く窮屈で背をかがめねば歩けぬ高さ。その場で諦め暫し休憩し引き返したが上り道がまた大変でやっと地上に戻ったら息があがり喉はカラカラ。零下の冷たさにかかわらず体中汗びっしょり。冷水一杯飲みやっと落ち着いた。
そこからはバスで北にトラ(都羅)山駅に到着。この駅は京義線鉄道が連結されれば南北交流の関門になるところで韓国最北端駅。だが現在は閉ざされていて駅構内は高い天井広い待合室で立派な施設だがガランとしており、警備兵が一人ぽつんと立っていた。
バスはさらに進み、曲がりくねった坂道を上ると小高い山上にあるトラ展望台に着いた。そこには数十台の望遠鏡並ぶ展望台があって、仰山の人だかり、それぞれ対峙する北朝鮮の山野や農村を見つめていた。望遠鏡でなら開城市街の一部や金日成銅像が見えるらしいがあいにく霞模様で見えず終い。
諦めて広場に戻るとバス数台を連ね参加した今年徴兵の韓国軍兵士が数十名、上官に引率され整列していた。20歳前後の若々しい新兵ばかりであどけなさ残る童顔がぼつぼつ。彼らを眺めていると日本の若者にない真摯さが伝わってきた。
その3日後、金正日が急死。いまDMZは緊張下にある。微妙な時期の視察だった。
・・・凍てついて流れも遅しイムシン河・・・
category 俳句 | 2011年 12月 22日 10:55 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
板門店
さて板門店はソウルから北約80キロに位置する。朝鮮戦争の停戦ラインである軍事境界線(DMZ−非武装区域)上で、周囲は南北の共同警備区域(JSA−Joint Security Area)、そこでは韓国軍を主とする国連軍と北朝鮮軍が境界線を隔て向き合っている。
ガイドの説明だが、板門店周辺警備に配属される韓国軍兵士は、国連軍兵士や北朝鮮軍兵士に見劣りしないため身長175cm以上、国連軍兵士と対等に英会話ができるなどの条件がありエリート兵士とされる。
余談だが、北朝鮮軍と直接顔を合わす場所に配置される韓国軍兵士は、北朝鮮軍兵士から表情を読み取られないよう、顔を判別されないよう、必ずサングラスを着用しなければならないそうだ。
停戦協定遵守を監視する「中立国監視委員会」と「軍事停戦委員会」の本会議場は警戒厳しく見学する際、パスポート持参、撮影、行動、服装面で制限される。
まず板門店に入る前「キャンプ・ボニファス」という施設でスライド映写で、南・北朝鮮の過去と現状のレクチャー、見学中の禁止事項のブリーフィングを受ける。そこでの説明で、
「警備区域内を移動中は撮影禁止。キャンプ・ボニファスの建物など一部施設周辺と軍事停戦委員会本会議場内では国連軍兵士との記念写真は撮影可。ただし100ミリ以上の望遠レンズの持ち込みは不可」 と知らされる。
その後、貴重品、パスポート、カメラ以外の持ち物を乗ってきたバスに置いて、そこからは国連軍の用意した別のバスに乗り換えて出発する。そして板門店前で降り、国連軍兵士の後に従い2列縦隊で施設にと入る。そこまでは勝手に歩きまわることはできず、そのまま「軍事停戦委員会」本会議場に入る。
議場内では南北境界線を越えても問題ない。室内は自由勝手に歩き回れ、撮影もできた。そこで数分間、建物回りや兵士の立哨姿を眺めたり、撮影したりして、再び施設に戻りそこの階段上で北朝鮮側を撮影、バスに返る。
乗ったバスは護衛ジープに先導され再び「キャンプ・ボニファス」へと戻ったが、途中「帰らざる橋」という地点を通過した。
この橋は板門店共同警備区域西端に位置し軍事境界線となっている沙川江に架かっている橋で、朝鮮戦争停戦後捕虜交換が行われた地点である。
捕虜たちはこの橋上で南北いずれかを選択することとなっていて、選択したら二度と再び元に帰れないことから「帰らざる橋」と呼ばれるようになり、以来この橋は「南北分断の象徴」になった。
こうして全行程半日がかりの催行だったが、有意義でいい勉強になった。しかし如何せん!老躯ゆえの情けなさ!徒歩多かったせいで足腰に痛み覚えその夜ホテル近くのマッサージ屋のご厄介に相成る。
・・・鳥鳴いて寒気やゆるむ板門店・・・
category 俳句 | 2011年 12月 19日 09:06 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
NANTA
金浦空港に降り立ちそこからソウル市街までは娘の思惑で路線バスを利用。ところがソウル市街に入ると外回りであちこち立ち寄りなんと1時間半も要してホテルに。帰途乗った地下鉄なら20分でゆける距離だった。
だがソウルの街を車窓から眺めていい勉強になった。広い車線いっぱいタクシー、バスなど錯綜し、とてもじゃないがすんなり走るは至難の業。
それに街路にあふれる市民を眺めていると70年代の日本の姿をかいまみるようで懐かしく韓国のバイタリティーを感じた。
その夜はNANTAというコミカル演芸を楽しむ。4人編成コック衣装の芸人がフライパン、まな板、鍋、包丁を使って打楽器演奏する喜劇。そのリズムがとても懐かしく感じたが、それは子どもの頃父に連れられ早朝から相撲見物にでかけたとき聞いた櫓太鼓のリズムそっくり。
もっともこれ韓国の伝統リズム「サムルノリ」音楽というらしい。
なにせコミカルな演技に対する観衆のノリが目茶苦茶すごく盛り上がり様は韓国人特有。
観劇後、明洞の街角の食堂に入り娘が好む「海鮮純豆腐」を食したが美味この上なく、とくに添え物のキムチが絶品の味だった。
・・・冬ソウルのどかに並ぶ赤松や・・・
category 俳句 | 2011年 12月 16日 09:21 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )




「萬や」の飯
松山城に上る
或る残暑見舞
神戸電鉄 御中