高野山詣での南海特急車中での…
『小さな男の子を連れた夫婦がコーヒー飲んでいた。
少年がトイレに行きたいと言い出した。
父親は二日前の「デイリーテレグラフ」から顔をあげた。
「どんなところか、ちゃんと見てきたほうがいいぞ。」彼は母親に向かって言った。
「カレーの二の舞になるのはごめんだからな」
母親は溜息を一つ吐き、渋々薄暗い店の奥へ立って行った。
待つほどもなく、彼女はレモンを丸かじりしたような顔で駆けもどった。
「おお厭だ。ロジャーをあんなところに行かせる訳にはいかないわ。」
行けないと言われたロジャー少年はますます行きたくなった。
「行きたいよ」ここで少年は符丁の数字を使った。
「ナンバー・トウだよ。大急ぎだよ」
第二の急用とは大きいほうの意味である。
「だって、あなた、腰掛もないのよ。穴が開いているだけよ。」
「いいよ。そんなこと。早くぅ」
「あなた。連れてってよ。」
母親は夫に向かって言った。「私は厭よ」
父親は読みさしの新聞を畳み、少年の手を引いて立ちあがった。
「その新聞、持っていったほうがいいわ」
「帰ってきてまた読むから」
「紙がないのよ」
母親は声を殺して鋭く言った。
「ああ、そうか。じゃぁクロスワードのところをとっておかなくてはな」
時間がゆっくり過ぎていった。
私は少年の母親にカレーでいったい何があったのか、聞いてみたい衝動に駆られた。
と、そこえ、店の奥から甲高い叫び声が聞こえた。
「ひぇーっ!」
用をすませたロジャー少年が姿を現した。
新聞紙の残りを手にした父親が土気色の顔で彼につづいていた。
(中略)
ロジャー少年と父親をかくも狼狽させたのは、トワレット・ア・ラ・テユルタ。
すなわち、トルコ式便器だった。
底に穴の開いた浅い琺瑯の洗面器のようなものを床に嵌めこんで、両脇に足のせを設けただけの安直な仕組みである。
おそらくは、トルコの公衆衛生技師によって能う限り不便なように設計されたものであろう。
フランスではこれに独自の改良を加えて水洗式にした。
その水勢たるや、不用意に流せば膝から下がずぶぬれになるほどの激しさである。
足を濡らさないためには、やりかたは二つある。
まずは長い腕とアクロバットの運動神経が必要だ。
では、どうするか。
はじめから、流そうなどとは考えないことである。
不幸にして大方の利用者がこの第二の道を選ぶ。
そこえ持ってきて、この手の店ではフランス特有の省エネ装置を設けているところが少なくない。
トイレの明かりのスイッチはどこもドアの外にあるきまりだが、これにタイマーがついていた、38秒で中が真っ暗になるようにできている。
貴重な電力を節減し、用もないのにいつまでもいる客を追い出す算段である。』
「南仏プロヴァンスの12か月」ピーター・メイル 池央耿 訳 より転載
ところで、もう五十年も昔のことである。
大阪・船場の繊維問屋のごりょんさんであった伯母と両親に連れられて南海特急で高野山に参拝したことがある。
その帰路の南海特急の車中で、急にお腹が痛くなって、催してきて、ついに辛抱たまらなくなってしまった。
特急であるので、停車駅は未だ遠い先であった。
なんとか我慢して電車の最後尾まで行って車掌さんに次の駅での臨時停車を頼んでもらった。
が、帰ってきた返事は非常に冷たいものであった。
しかし、そりゃぁそうだ。
命にかかわる事柄ではないので、臨時停車など出来ないのも道理であった。
そして、車掌さんの提案を受け入れることにした。
新聞紙を開いて敷いてその上に、ウンを開いたのだった。
その新聞紙は、幸運を包み込んで次の停車駅で車掌さんが駅員に託してくれたのだった。
高野山参りの帰路の南海特急の電車の車中で高野山参りをさせてもらった恥ずかしくも、有難い経験談を思い出させてくれた作品のくだりである。

少年がトイレに行きたいと言い出した。
父親は二日前の「デイリーテレグラフ」から顔をあげた。
「どんなところか、ちゃんと見てきたほうがいいぞ。」彼は母親に向かって言った。
「カレーの二の舞になるのはごめんだからな」
母親は溜息を一つ吐き、渋々薄暗い店の奥へ立って行った。
待つほどもなく、彼女はレモンを丸かじりしたような顔で駆けもどった。
「おお厭だ。ロジャーをあんなところに行かせる訳にはいかないわ。」
行けないと言われたロジャー少年はますます行きたくなった。
「行きたいよ」ここで少年は符丁の数字を使った。
「ナンバー・トウだよ。大急ぎだよ」
第二の急用とは大きいほうの意味である。
「だって、あなた、腰掛もないのよ。穴が開いているだけよ。」
「いいよ。そんなこと。早くぅ」
「あなた。連れてってよ。」
母親は夫に向かって言った。「私は厭よ」
父親は読みさしの新聞を畳み、少年の手を引いて立ちあがった。
「その新聞、持っていったほうがいいわ」
「帰ってきてまた読むから」
「紙がないのよ」
母親は声を殺して鋭く言った。
「ああ、そうか。じゃぁクロスワードのところをとっておかなくてはな」
時間がゆっくり過ぎていった。
私は少年の母親にカレーでいったい何があったのか、聞いてみたい衝動に駆られた。
と、そこえ、店の奥から甲高い叫び声が聞こえた。
「ひぇーっ!」
用をすませたロジャー少年が姿を現した。
新聞紙の残りを手にした父親が土気色の顔で彼につづいていた。
(中略)
ロジャー少年と父親をかくも狼狽させたのは、トワレット・ア・ラ・テユルタ。
すなわち、トルコ式便器だった。
底に穴の開いた浅い琺瑯の洗面器のようなものを床に嵌めこんで、両脇に足のせを設けただけの安直な仕組みである。
おそらくは、トルコの公衆衛生技師によって能う限り不便なように設計されたものであろう。
フランスではこれに独自の改良を加えて水洗式にした。
その水勢たるや、不用意に流せば膝から下がずぶぬれになるほどの激しさである。
足を濡らさないためには、やりかたは二つある。
まずは長い腕とアクロバットの運動神経が必要だ。
では、どうするか。
はじめから、流そうなどとは考えないことである。
不幸にして大方の利用者がこの第二の道を選ぶ。
そこえ持ってきて、この手の店ではフランス特有の省エネ装置を設けているところが少なくない。
トイレの明かりのスイッチはどこもドアの外にあるきまりだが、これにタイマーがついていた、38秒で中が真っ暗になるようにできている。
貴重な電力を節減し、用もないのにいつまでもいる客を追い出す算段である。』
「南仏プロヴァンスの12か月」ピーター・メイル 池央耿 訳 より転載
ところで、もう五十年も昔のことである。
大阪・船場の繊維問屋のごりょんさんであった伯母と両親に連れられて南海特急で高野山に参拝したことがある。
その帰路の南海特急の車中で、急にお腹が痛くなって、催してきて、ついに辛抱たまらなくなってしまった。
特急であるので、停車駅は未だ遠い先であった。
なんとか我慢して電車の最後尾まで行って車掌さんに次の駅での臨時停車を頼んでもらった。
が、帰ってきた返事は非常に冷たいものであった。
しかし、そりゃぁそうだ。
命にかかわる事柄ではないので、臨時停車など出来ないのも道理であった。
そして、車掌さんの提案を受け入れることにした。
新聞紙を開いて敷いてその上に、ウンを開いたのだった。
その新聞紙は、幸運を包み込んで次の停車駅で車掌さんが駅員に託してくれたのだった。
高野山参りの帰路の南海特急の電車の車中で高野山参りをさせてもらった恥ずかしくも、有難い経験談を思い出させてくれた作品のくだりである。
category 日々つれずれなるままに / 2014年 07月 04日 23:11 | Comments ( 0 ) | Trackback ( 0 )
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