阿蘇山噴火&人生もフェイルセイフで・・・
半世紀以上昔、高校の修学旅行で、夜行列車で、九州の上半分を一周した。
新幹線などない時代であり、姫路機関区の次の岡山機関区で機関車が交代し、広島機関区でまた、機関車が交代し・・・と、機関区毎に機関車を交代させながらのしかも夜行列車での、そして、宿屋に到着するまでの弁当持参で、宿屋での食料用の米一日三食当たり三合、何泊だったかは忘れたが、相応の米持参で、列車は長時間座っておればお尻が痛くなる三等車であった。
北九州工業地帯を列車の窓から眺めながら、長崎では西海橋を渡り、平和記念像や、グラバー邸や、浦上天主堂などを巡って、天草へ渡って、熊本から阿蘇山、別府へ抜けて、地獄を見て、別府から神戸への夜行船の船底で一泊して帰ってきた。
大体、学生の団体が船に乗るときは、料金が安くて喫水も下げることもできると、一石二鳥の船底、と、相場が決まっ(?)いたような時代であった。
阿蘇山は噴火の心配がなかったのが幸いであった。
この度の阿蘇山の噴火が、懐かしいことを思い出させてくれた。
今、振り返ってみると、結構、危険と隣り合わせの時代でもあったように思える。
運よく危険を避けてよくぞ生き延びてこられたものだここまでと、喜んでいる。
そして、且つ、自ら危険の中に飛び込む愚行は避けることを心がけたいものだ、と、今更ながら思い出させてもらった次第である。
人生も「フェイル・セイフ(fail safe)」でありたいものである。
新幹線などない時代であり、姫路機関区の次の岡山機関区で機関車が交代し、広島機関区でまた、機関車が交代し・・・と、機関区毎に機関車を交代させながらのしかも夜行列車での、そして、宿屋に到着するまでの弁当持参で、宿屋での食料用の米一日三食当たり三合、何泊だったかは忘れたが、相応の米持参で、列車は長時間座っておればお尻が痛くなる三等車であった。
北九州工業地帯を列車の窓から眺めながら、長崎では西海橋を渡り、平和記念像や、グラバー邸や、浦上天主堂などを巡って、天草へ渡って、熊本から阿蘇山、別府へ抜けて、地獄を見て、別府から神戸への夜行船の船底で一泊して帰ってきた。
大体、学生の団体が船に乗るときは、料金が安くて喫水も下げることもできると、一石二鳥の船底、と、相場が決まっ(?)いたような時代であった。
阿蘇山は噴火の心配がなかったのが幸いであった。
この度の阿蘇山の噴火が、懐かしいことを思い出させてくれた。
今、振り返ってみると、結構、危険と隣り合わせの時代でもあったように思える。
運よく危険を避けてよくぞ生き延びてこられたものだここまでと、喜んでいる。
そして、且つ、自ら危険の中に飛び込む愚行は避けることを心がけたいものだ、と、今更ながら思い出させてもらった次第である。
人生も「フェイル・セイフ(fail safe)」でありたいものである。
category 日々つれずれなるままに | 2014年 11月 27日 21:47 | comments( 0 ) | Trackback( 0 )
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