HABU
適当なこと書いてます。

オムライス

私の誕生日には、必ずオムライスが出た。
チキンライスを卵でくるんだやつ。
どんな料理にも勝る味だった。

この頃のレストラン、オムライスを扱っている店が多いが、

ほとんどの店が半熟溶き卵かけご飯。
いつの間にオムライスがこうなったの?

オムライスは、表面パリッでスプーンを入れると、中でチキンライスと半熟溶き卵が軽く混ざっている。これが理想ではないですか?
作成段階ではこれが一番腕がいる。
卵の焼き上がる状態を見て、ご飯を投入し、素早く皿に盛る。
タイミングも、盛りつけの形も、ある程度数を重ねなければいいものができない。

今、どこのレストランでも見かけるオムライスは、軟らかめのオムレツさえできる腕があれば、それをご飯の上にのせて、上からつつけばいいのだ。

学生時代学食で、チキンライスを型で固めて、その上に薄焼き卵をのせたのを出していたが、それと大して変わらない気がする。

category 昔話  |  2007年 03月 12日 15:36  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

B−747 SR引退

ニュースを見ていたら、B−747 SRのラストフライト記事が出ていた。


私にとって、B−747 SRは、ある理由でとても思い出がある機体だ。毎日のようにこの機体に触れていた時期があった。

飛行機の寿命というのは、離着陸の回数によって決まる。それは、離着陸時が機体に一番の荷重がかかるからだ。そのために新しい機体を開発する際、全く同じ機体に離着陸と同じ荷重を擬似的にかけ、何回目に壊れるかをテストする。この回数は設計された回数と一致しなければならない。この回数が多ければ、軽量化の設計が間違っていたことになる。
B−747 SRは、全日空の要請により、ボーイング社が離着陸回数を無限大とした。
当然、機体重量が増してしまい、その分他の部分で軽量化しなければならなかった。

1番機が飛び立ったとき、バブルが始まった時期で、500人が搭乗できる機体は、ほぼ満席状態で就航することとなった。

あれから27年の年月が過ぎました。十分働いてもいただきました。

お疲れ様でした。

category 昔話  |  2006年 03月 12日 10:46  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

ハンバーガーとの出逢い。

ブログは最新の情報をアップするものだろうが、『三丁目の夕日』のヒットのせいだろうか?昔話ばかり書いている。

今から○十年前、実家から関東圏に引っ越した。その前の年、兄が東京に行ったとき、マクドナルドのメニューを持ち帰っていた。
これぞ都会の食べ物と思い、マクドナルドを探し回った。上野の駅前で店を見つけ、早速入ってみた。
とてもカルチャーショックだった。その店には椅子が無く、お客は立ったまま食事をしていた。
味は・・・・初めての感触。今まで食べたパンは、中身はクリームとかジャム。菓子パンではない。
ホットドック?それまで食べていたホットドックは魚肉ソーセージ。全く違う。
カツサンド?今までの味は、ハムカツにソースたっぷり。これもまた違う。
醤油ベース、ウスターソースの味になれていた感覚を捨てなければならない。これが都会の味か・・・・

category 昔話  |  2006年 03月 05日 12:23  |  comments( 2 )  |  Trackback( 0 )

ネットワークとの出逢い

 私だけの考えかもしれないが、今年2006年は、インターネット、Eメールの成人式ではないだろうか。その理由は、この『ネットワークとの出逢い』のアップのために、昔のことを調べてみたら、『WWIV日本語版』が1986年製ということに気がついた。このソフトは、フリウェアーのBBS、Eメール、通信ソフトで、今で言うウエブサーバー、メールサーバーに匹敵するソフトだ。このソフトを使って、ネットワーク・ホストを設置するSYS・OPが結構いた。
 それまで、世界的にEメールというものを使っていたのはごく一部だったが、このソフトがEメールを一般人の世界におろしてくれた。



   もうちょっとつづくかな・・・・?

category 昔話  |  2006年 02月 26日 21:15  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

ネットワークとの出逢い

 山田氏より、私と山田氏の出身地で、草の根BBSの実験運用が立ち上がったことを聞かされた。その頃には、電機販売店や、コンピュータ関連の会社が運営するBBSは存在したが、地域集団のBBSは珍しかった。
 コンピュータは、地元のNTTより廃棄処分間近の8インチフロッピーで動作するものを借り受け、運営費は有識者の寄付によりまかなわれていた。早速会員登録をし、アクセスIDをもらった。
現在のインターネットとは違い、電話回線を使ってアクセスするわけで、アクセス電話番号が知らされなければそのボードに参加することができない。そのために、ボードへの書き込みはごく限られた人のみとなり、内容も地域限定のとてもローカルなものとなっていた。
雰囲気はとてもアットホームなもので、このh555のCLOVERに似たものがあった。

 でも、私としてはそれがよかった。出身地より遠く離れたところに住み、故郷の情報などとても大きな事件でない限り私のところには届かない。
 ところが、このBBS、ご近所さんの井戸端会議のようで、遠く離れた関東圏でも出身地の話題が手にはいる。そんな理由でこのBBSによくアクセスしていた。


     つづく・・・・かな?

category 昔話  |  2006年 02月 19日 11:35  |  comments( 0 )  |  Trackback( 0 )

ネットワークとの出逢い

 私がネットというものに出会ったのは、今から20年弱前。関東圏の、兵庫県に相当するところに住んでいた。

 パソコンというものが家電販売店で売られるようになって、これからはパソコンの時代が来ると思い購入することにした。
 その頃のパソコンは、フルセットにすると、定価ベースで120万円ほどした。(当然値切りましたので、かなり安くした。)家電屋さんは『領収書の会社名は?』と聞かれ、「個人名で良いですよ」と、答えたら、ものすごく驚かれたのが印象的だった。

 しかし、パソコンを買っては見たものの、「パソコンて何するもの?」の世界で、FDのフォーマットばかりやっていたような気がする。


 そんな時、昔の友人、パソコンマニュアル本『できる』シリーズの著者で、その頃放送作家をしていた山田祥平氏がパソコンのインストラクターもしているという話を聞いた。
 山田氏の連絡方法を探り出し、マンションを訪れて、「パソコンって何?」と、質問したところちょうど発売されたばかりの『初めてのパソコン』の本を渡された。

 その本には、パソコンにモデムを接続し、データや、ワープロ文章などが遠く離れたパソコンまで送ることができる等が書かれていた。


               つづく

category 昔話  |  2006年 02月 11日 13:24  |  comments( 2 )  |  Trackback( 0 )